2011年ウクライナ政府報告書(抜粋和訳)5:チェルノブイリ事故の複雑要因の公衆衛生への影響① 神経精神的影響


2011年ウクライナ政府報告書
英文 https://docs.google.com/file/d/0B9SfbxMt2FYxZmdvWVNtMFkxXzQ/edit
原文 http://www.chnpp.gov.ua/images/pdf/25_chornobyl_ua.pdf

ウクライナ政府が、チェルノブイリ事故の25年後に出した報告書の英訳版より、事故処理作業員や住民とその子供達の健康状態に関する部分から抜粋和訳したものを、下記のように6部に分けて掲載する。また、他のサイトで和訳がされている部分もあるが、英訳版の原文で多く見られる不明確な箇所がそのまま和訳されていた。ここでは、医学的に意味が通るように意訳をした。

1. 避難当時に子供だった人達の健康状態
立ち入り禁止区域から避難した子供達の健康状態の動向
2. 甲状腺疾患 
 小児における甲状腺の状態
ウクライナの小児における甲状腺癌
3.  汚染区域に居住する集団の健康についての疫学調査   ●確率的影響
 非癌疾患
 非癌死亡率
4. 被ばくによる初期と長期の影響
 ●急性放射線症
 ●放射線白内障とその他の眼疾患
 ●免疫系への影響
5. チェルノブイリ事故の複雑要因の公衆衛生への影響
●神経精神的影響
6. ●心血管疾患
●呼吸器系疾患
●消化器系疾患
●血液疾患




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5. チェルノブイリ事故の複雑要因の公衆衛生への影響①


神経精神的影響


チェルノブイリ事故の長期の神経精神的結果は世界で認識されてはいるが、原因はまだ確定されていない。図3.75には、最近明らかになった、ごく微量の線量の被ばくによる中枢神経への影響の病理発生に関する多くの新しいデータが図式的に描写されている。これらは、成人脳の海馬における神経形成の抑制、遺伝子発現プロファイルの変化、神経炎症反応、神経シグナルの異常、神経細胞のアポトーシス、二次病巣による細胞死と損傷、その他を含む。これらの障害は、以前から良く知られている”グリア細胞−血管結合”と共に、脳の放射線感受性の機序の説明になる。(訳者注:”血管−グリア細胞結合”とは、実質、”血管脳関門”を意味する。)




現在分かっている、放射線の脳への影響の線量依存性は表3.39にまとめられている。




チェルノブイリ事故による胎内被ばく後にみられた認知障害と神経生理学的障害は、次のような被ばく線量で起こった。

 ●妊娠8週目以降:胎児−20 mSv以上、胎児の甲状腺−300 mSv以上

 ●妊娠16−25週目:胎児−10 mSv以上、胎児の甲状腺−200 mSv以上


子供時代の放射線被ばくは、成人期での認知低下と、もっと後の時期での統合失調症を含む精神疾患と関連づけられており、これは被ばく線量に依存する。子供時代の脳への被ばく線量が0.1−1.3 Gyだった場合には、放射線による脳損傷が晩発期にみられた。胎内被ばくを受けたり、生後1年間の間に被ばくした小児においては、様々な神経精神的疾患のリスクが増加するため、積極的なモニタリングが必要である。

成人における放射線による中枢神経への影響は、0.15 Svから0.25 Sv以上の線量で見られた。
 ●0.3 Sv以上では、線量に依存した、神経精神学的、神経生理学的、神経心理学的、および神経画像的な偏差がみられた。
 ●1.0 Sv以上では、神経生理学的および神経画像的なマーカーがみられた。
放射線被ばく後の脳損傷は、主に優勢大脳半球(訳者注:右利きの人なら左大脳半球)の前頭葉−側頭葉部に局所化され、白質と灰白質の両方に影響を及ぼしていた。

0.3-1.0 Sv以上の放射線被ばくの後に中枢神経で損傷を受けたのは、次のような構造や機能であった。
 ●前頭葉と側頭葉の萎縮
 ●特に優勢大脳半球における、大脳皮質下の構造と伝達経路の変化

成人期における放射線被ばくは、次のようなことのリスク要因となる。
 ●神経変性の疾病素質としての慢性疲労症候群
 ●認知欠損やその他の神経精神疾患
 ●中枢神経の老化の促進
 ●新タイプの統合失調症

公式登録内の精神障害に関する情報は実際の10分の1ほどに過小評価されているが、この理由は、調査が消極的であるのと、精神障害を持つ患者が受診を躊躇するためである。ごく最近に公表された、国際的な精神学的問診(Comosite International Diagnostic Interview、WHO-CIDI)を用い、エビデンスに基づいて実行された事故処理作業員の精神的疫学調査では、「健康な事故処理作業員の効果」(精神的に健康な人達が事故処理作業員として選択された)により、事故処理作業員の不安症とアルコール過剰摂取の事故前の罹患率は、対照群よりもはるかに小さかった(表3.40)。(訳者注:事故処理作業員には、元々、精神的に健康な人達が選ばれていたということ。)



事故後に、事故処理作業員におけるうつ病(18.0%、対照群13.1%)と自殺願望(9.2%、対照群4.1%)の罹患率が著しく増加したことが発見された。しかし、この傾向は、アルコール乱用と間欠性爆発性障害では見られなかった。問診が実施された前年には、事故処理作業員でのうつ病(14.9%、対照群7.1%)、PTSD心的外傷後ストレス障害(4.1%、対照群1.0%)と頭痛(69.2%、対照群12.4%)の罹患率が増加した(図3.76、3.77)

注:1986年当時の年齢に補正した結果、事故処理作業員と対照群で違いがみられたのは、不安症(調整オッズ比0.3、95%信頼区間0.1−0.9 p=0.03)とアルコール乱用(調整オッズ比0.6、95%信頼区間0.1−0.9 p=0.03)のみだった。




うつ病とPTSD(心的外傷後ストレス障害)に罹患した事故処理作業員は、対照群で同じ疾患を持つ患者よりも、仕事を休む日数が多かった。事故の影響の度合いは、身体的症状とPTSD心的外傷後ストレス障害)の重度と関連していた。この結果から、事故処理作業員におけるチェルノブイリ事故による精神衛生への長期的悪影響が明らかになった。

ウクライナ国立放射線医学研究所の臨床疫学登録のデータの分析によると、放射線リスクが0.25−0.5 Sv以上の事故処理作業員では、精神障害(器質性、うつ病など)と脳血管疾患の頻度が増加していた。

「自律神経血管失調症」という診断名が、放射線被ばくの影響を受けているという「兆候」として過剰に使われていたと言う間違った認識が広まっているが、それとは対照的に、この診断名はチェルノブイリ事故後初期数年の間に、臨床疫学登録システムに登録していた事故処理作業員の4分の1ほどで使われただけだった。図3.78でみられるように、自律神経血管失調症の症例数は事故後の年月を経てかなり減少し、現在では臨床疫学登録システムに登録している事故処理作業員5%ほどでみられるにすぎない。



事故後徐々に、事故処理作業員においての脳血管疾患(特に慢性脳虚血)、脳動脈硬化症、そして程度は少ないが、高血圧性脳障害の罹患率が顕著に増加した。

臨床疫学登録に登録されている事故処理作業員と立入禁止区域からの避難者のコホートからの、ランダムなサンプルにおいての精神衛生の現在(2008−2010年)の評価では、チェルノブイリ事故による長期的な精神学的影響が確認された。事故処理作業員と避難者においては、一般的な精神障害と行動障害、血管性認知症、アルコール使用による精神障害と行動障害、気分変調症とPTSD(心的外傷後ストレス障害)が、より多く見られた。事故処理作業員においては、器質的うつ病性障害、器質的不安障害、器質的感情的不安定(無力)症と器質的人格障害が増加した。

チェルノブイリ事故による神経精神学的影響には、放射線および非放射線(特にストレス)の事故由来の複合要因および社会的変化と従来のリスク要因など、病因に多様性がみられる。また一方では、1986−1987年の事故処理作業員においては、被ばく線量に関係した増加が、脳血管疾患、特に脳動脈硬化症と高血圧性脳症にみられた(図3.79)。




1986−1987年の事故処理作業員では、線量に依存しためまいと前庭障害を含む、他の神経精神学的疾患の増加も立証された。

ウクライナ国立登録によると、1986−1987年の事故処理作業員では、神経系と感覚器官の疾患、自律神経血管失調症、本態性高血圧症と脳血管疾患の線量と関連した増加もまた見られた(図3.80)。




ウクライナ国立登録と臨床疫学登録のデータにより、1986−1987年の事故処理作業員における神経精神疾患の1 Gyにおける過剰相対リスク(ERR)が確証された(図3.81)。



 
アルコール中毒症候群は、1986−1987年の事故処理作業員の26.8%(対照群15.6%、p<0.001)が罹患しており、17.2%はアルコールを乱用している。すなわち、アルコール使用による精神障害と行動障害は、事故処理作業員の44%で見られたという事である。チェルノブイリ事故の複合要因への曝露と、事故処理作業員が既に罹患している精神障害から二次的に起こるアルコール依存症候群の発現との結び付きがはっきりとしたと言える。

胎内被ばくを受けた子供では、神経系疾患と精神障害が対照群より多く見つかった。
 ●言語性IQの低下と知能の不調和の頻度増加のため、全体的なIQが被ばくをしていない子供と比較して低下した。
 ●この不調和が25点を超えた場合では、胎児の被ばく量と相関関係があった。
 ●避難した母親達とキエフ在住の母親達の間では、言語性IQには違いがみられなかった。
 ●しかし、避難した母親達は、キエフ在住の母親達と比べてかなり多くのストレスを経験し、下記の障害や症状がより多くみられた。
   ○うつ病性障害
   ○PTSD心的外傷後ストレス障害
   ○身体表現性障害
   ○不安症
   ○不眠症
   ○社会的機能障害

チェルノブイリ事故により環境に放出された放射性ヨウ素への胎内被ばく量が比較的少量であっても、中枢神経発達に最も重要な時期である妊娠8−15週目においてのみならず、妊娠後期の子宮内の胎児の甲状腺被ばく量が最も高い時期においても、脳損傷が起こり得る(図3.82)。




信頼できる個人被ばく線量データに基づいた、綿密な神経精神学的研究によると、胎内被ばく後の脳損傷は、優勢大脳半球(ほとんどの人にとっては左大脳半球)にみられた。

胎内被ばくを受けた人達では、重篤な精神遅滞は過剰にみられなかったが、下記の事象が頻繁にみられた。母親における精神衛生障害、ストレス、そして胎内被ばくが、従来のリスク要因と合わせてこれらの影響に貢献した。  ●神経精神学的障害  ●脳の左大脳半球の破壊を示す神経学的兆候  ●総合および言語性のIQ低下  ●言語性IQの低下による知性の発達の不調和  ●脳波(EEG)パターンの乱れ    ○脳の生物電気学的活動のδ波(デルタ波)と β波(ベータ波)の左前頭葉-側頭葉付近への過剰な側方化とθ波(シータ波)とα波(アルファ波)の減少  ●半球間での視覚情報処理の逆転

チェルノブイリ事故の主な神経精神学的教訓は、NATO(北大西洋条約機構)平和と安全保障のための科学のフレームワークで次のように定義されている。
 ●否定的な心理的影響(放射線に対しての不安とパニック反応)と心理身体的障害
 ●「パニックによる疾患への逃走」、就業不能と社会的無活動、そして移住における社会心理学的および放射能関連問題による”迫害」
 ●「放射線被ばく後のPTSD」の次のような特徴:将来に関する心気的固執(発癌の可能性、子供の先天性異常やその他に関する不安)
 ●発達しつつある脳への影響、成人における長期的な精神衛生の妨害
 ●放射線の中枢神経への影響の可能性
 ●自殺

2011年ウクライナ政府報告書(抜粋和訳)4:被ばくによる初期と長期の影響−−急性放射線症候群、放射線白内障とその他の眼疾患、免疫系への影響


2011年ウクライナ政府報告書

ウクライナ政府がチェルノブイリ事故の25年後に出した報告書の英訳版より、事故処理作業員や住民とその子供達の健康状態に関する部分から抜粋和訳したものを、下記のように6部に分けて掲載する。また、他のサイトで和訳がされている部分もあるが、英訳版の原文で多く見られる不明確な箇所がそのまま和訳されていた。ここでは、医学的に意味が通るように意訳をした。

1. 避難当時に子供だった人達の健康状態 立ち入り禁止区域から避難した子供達の健康状態の動向 2. 甲状腺疾患 小児における甲状腺の状態 ウクライナの小児における甲状腺癌 3. 汚染区域に居住する集団の健康についての疫学調査 ●確率的影響 ●非癌疾患 ●非癌死亡率 4. 被ばくによる初期と長期の影響  ●急性放射線症候群  ●放射線白内障とその他の眼疾患  ●免疫系への影響 5. チェルノブイリ事故の複雑要因の公衆衛生への影響  ●神経精神的影響 6. ●心血管疾患  ●呼吸器系疾患  ●消化器系疾患  ●血液疾患




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4. 被ばくによる初期と長期の影響
 ●急性放射線症候群
 ●放射線白内障とその他の眼疾患
 ●免疫系への影響


急性放射線症候群

1986年に, 237人が急性放射線症候群(ARS)の診断を受けた。1989年に実施された綿密で遡及的な分析の結果、実際に急性放射線症候群が確認されたのは134人に減ったが、この内28人は事故後の最初の3ヶ月以内に亡くなっていた。ウクライナ国立放射線医学研究所では、当初、急性放射線症候群の診断を受けた239人のうちの190人を、事故後の25年間追跡調査しているが、1987年から2010年の間に、ウクライナ在住の39人が亡くなっている(図3.58)。




全体的に頻度が1番高い死因は癌(15症例)と心血管系疾患(12症例)であった。他の死因は、重度の肝硬変、進行性の肺結核、脳炎、足の骨折後の脂肪塞栓症、事故やトラウマであった(表3.37)。 



25年の研究の間に、急性放射線症候群の診断を受けた人達の主要臓器とシステム、代謝とホメオスタシスの機能状態を調査した。この結果、このグループの健康、精神的、身体的性能が包括的に評価された。そして、リスク要因の発達と確率的・非確率的病態の特徴が確認され、急性放射線症候群になった患者のリハビリテーションのシステムが構築された(訳者注:文脈から、「リハビリテーション」は、ここでは「治療、回復と社会復帰」を意味すると思われる)。

急性放射線症候群を生き延びた患者は、内臓器官やシステムの慢性疾患をわずらっている(一度に5〜7、もしくは10〜12の診断)。
 ●事故後の最初の5年の間には、心血管系疾患、消化器系疾患、神経系疾患と肝胆道系疾患が急激に増加した。
 ●次の20年間の間には、増加のペースは落ちたが、身体的症状を持つ患者は85から100%に達した(図3.59)。



癌は、主に様々な部位の固形癌だった(表3.38)。事故後の最初の10年で悪性血液疾患は5症例見つかり、次の15年間では固形腫瘍が出始めた。悪性腫瘍と心血管系疾患によって死亡した患者の53%の年齢は、ウクライナの平均余命より低かった。



事故後、24人が典型的な放射線白内障を発病した。このうち、10人はARS3度、8人はARS2度、3人がARS1度で、3人がARS未確認(ARS NC)だった。放射線白内障のほぼ全症例(96%)は、被ばく後15年の間に発病した(図3.60)。水晶体の病理研究によると、放射線白内障は、放射線の確定的影響ではなく、確率的影響であるかもしれないことが示された。




放射線被ばくの晩発期の放射線白内障の罹患率は、被ばく線量と被ばく期間の対数に依存して増加した。

急性放射線症候群の患者の中で、被ばく線量が1 Gyから3 Gyだった人達の造血システムを事故後初期と後期に継続観察したら、骨髄と末梢血内の数値が徐々に正常化した反面、核と細胞質の細胞構成要素において多数の質的な不規則性が維持されているのが明らかになった(図3.61−3.64)。




細胞核の不規則性の度合いは、電離性放射線によって引き起こされた損傷の予後を予測する基準となる。これらの物質は、放射線生物学の基本的法則と相関し、吸収線量が大きいほど細胞周期の遅滞が大きくなったことを示した。これは、骨髄からの幹細胞の喪失だけでなく、コミットした細胞の一部分の喪失、そして部分的には間期細胞死と繋がりがある。 染色質の構造の変化は、有糸分裂が可能な若い細胞ではパラパラになった物質、有糸分裂の能力を失った細胞では染色質の過剰な濃縮としてみられた。後者の場合、よく、電子が透過する部分が局部的に1〜3ヶ所できた。これらの特徴は、アポトーシスしている細胞に固有のものだった。一部の顆粒白血球の細胞質では1次顆粒と2次顆粒が見つかったが、ほとんどの場合は脱顆粒して細胞質に空洞がある細胞だった。時には、顆粒白血球の細胞核が、空洞によって歪められてまでいた(図3.65−3.67)。



骨髄内の赤血球生成の(赤芽球)島では、マクロファージの周囲の赤芽球の不足という異常がみられた。造血の巨核球系統では、血小板成熟障害、空洞化とムコ多糖体の喪失という変化がみられた。
骨髄の回復には1年から3年かかり、その動態を追跡するのは、今でも科学者にとって非常に興味深いことである。回復への移行期には、骨髄内で若い世代の細胞の数が増え、骨髄生体検査では形成不全と過形成の部分が交互にみられる。このような骨髄の再生は、形態機能的な指標の総合的な分析も含めて、複数の過程で発現する可能性がある。    1)末梢血液の正常化を伴う完全な回復    2)血球減少が残存する形成不全    3)汎血球減少と将来的な血液腫瘍疾患の発症を伴う骨髄抑制 事故後の時期には、急性放射線症候群の患者や急性放射線症候群未確認(ARS NC)の人達で、様々な血液症候群がみられたが、ほとんどが成熟した末梢血液細胞の分化の末端部分と関連していた。汎血球減少の頻度は、急性放射線症候群1度〜3度での方が、急性放射線症候群未確認のグループよりも高かった(図3.68)。


被ばく後の最初の5年間の汎血球減少の高頻度は、5年以降は減少傾向がみられた。25年間でみられたすべての血液症候群の頻度は、急性放射線障害症候群の患者においての方が、急性放射線症候群未確認の人達よりもかなり高かった(図3.69)。


ドイツの研究者との協力の下、チェルノブイリ事故や他の放射能事故の被ばく者の調査のための国際コンピューターデータベースが作られた。このデータベースには、2,390人の急性放射線症候群の患者および急性放射線症候群未確認の人達の病歴が含まれている。 放射線白内障とその他の眼疾患 チェルノブイリ事故以前には、放射線白内障は線量負荷が2 Gy以上でのみ起こるのだと思われていた。しかし、1990年にはこれよりも低い線量での白内障の発現が報告されていた。1992年には、放射線白内障の特定のピークが1997年に起こるであろうと予測された。これは、チェルノブイリの被害者における放射線白内障の2つの独立した研究によって証明された。これらの研究機関は、ウクライナ国立放射線医学研究所(Research Center for Radiation Medicine、略称RCRM)の「臨床疫学的登録」(Clinical-Epidemiological Registry、略称CER)と、国際研究組織の「ウクライナ・アメリカ合同のチェルノブイリ眼研究 」(Ukrainian/American Chernobyl Ocular Study、略称UACOS) である。
現在、典型的な臨床像を持つ放射線白内障は223症例が知られている。  ●UACOSの最初の結果は、2 Gyよりもっと低い線量の閾値の可能性を示した。年齢グルー プによっては、閾値がおよそ0.1 Gyだった。閾値は白内障の種類に依存し、0.7 Gy以上にはなり得なかった。
 ●CERの調査結果の分析によると、典型的な放射線白内障は0.1 Gy以下の線量で起こった。5年間被ばくのリスクを受けた後の、被ばく線量による放射線白内障の絶対リスクは、図3.70に示されている。


放射線白内障のモデルによると、放射線による集積相対リスクは1 Gyあたり3.451(1.347, 5.555, p<0.05)だった。白内障の発達は、また、放射線被ばくの期間にも影響された。この研究での放射線白内障の閾値は定められなかった。潜伏期間は22年以上であり得る。これらの研究と数学的モデルにより、放射線白内障が放射線被ばくの確率的影響であると証明される。
国際”ピッツバーグ・プロジェクト”の結果と、それと並行して実施されたイヴァンキフ長期研究によると、小児における水晶体の最初の変化は、土壌の放射能汚染が非常に低い濃度で起こる。
チェルノブイリ事故の被災者では、新しいタイプの放射線網膜症が2つ見つかっている。  ●”チェスナッツ症候群”(初期と後期)[“Chestnut Syndrome” (early and late)]  ●”放射線格子症候群” (“The Syndrome of Radiation Grating”)

また、確定的影響の徴候を持つ、新たな放射線の影響もある。
 ●レセプター複合体としての目の機能は、網膜の永久電位の発生が伴う。放射線被ばくは、この網膜電位の発生を妨害する。閾値は200 mSvである。
 ●放射線被ばくは、線量と相関した視力調節の低下を引き起こす。閾値は150 mSvである。



免疫系への影響

ウクライナ放射線医学研究所で1987年に開始された免疫系の調査は、世界的な放射線生物学の既存の経験に基づいていた。人間の免疫系への低線量の電離性放射線の影響の研究においては、放射線の影響を、様々な負の環境因子、放射性同位体の割合への病理変化の依存性、放射性物質への被ばく期間と被ばくルート、体組織・臓器・個人の放射線感受性の特徴などと区別するのが大変困難である。

免疫機能の調査(図3.71)によると、165,000人以上の色々なカテゴリーの被災者においての、晩発期の免疫機能障害の頻度には著しい増加が見られ、事故処理作業員においての増加が最も際立っていた。急性放射線症候群の患者における免疫系の変化は、放射能被ばくの5年後には、Tリンパ球とBリンパ球の機能抑制と非特異性の抵抗メカニズムの機能不全を伴う、放射線誘発性の複合型免疫不全症に特徴づけられた。




事故後10年で、急性放射線症候群の患者の32%に免疫系の代償性変化が発現し、37%は免疫調節異常の変化を示した。細胞免疫欠陥は31%でみられた。被ばくから15〜25年後には、前駆細胞分化の障害のために、末梢血中での前駆細胞の量が増加し、CD123w抗原(IL-3レセプター)の表現が減少した(図3.72)。



急性放射線症候群の患者では、晩発的に、細胞傷害性Tリンパ球(キラーT細胞)を含むTリンパ球、Bリンパ球と、系統的に一番古いナチュラルキラー細胞のように、免疫細胞の中で回復したものもあった。細胞亜集団とその機能活性は線量に依存して妨害され続けており、それは、細胞亜集団の中には代償的予備の消耗がみられるものがあることを示す。CD34+ 細胞の全集団の相関係数は−0.48と、かなり大きかった。この結論は、図3.73でみられるように、初期の前駆細胞の分析によって確認されている。



低線量と中線量の放射線による晩発的影響の研究は、(訳者注:放射線との因果関係が不明な)身体的および心身症的な疾患の存在のため、非常に難しい。
低線量の放射線による免疫系への影響は、次のような主要因に左右される。  ●非致死的な放射線誘発性の細胞損傷(機能的欠陥を持つの増殖)  ●液性因子による拡散効果  ●免疫反応の変化(神経免疫要因と脂肪代謝の変化およびそれに伴う障害)
 ●適応システムの反応(細胞周期の放射線抵抗性段階への移行。未成熟細胞の段階的かつ線量依存的な生産と非特異的な活性化。) この調査の結果は、慢性閉塞性肺疾患、慢性肝炎や脳血管障害などの晩発的な慢性身体性疾患を持つチェルノブイリの事故処理作業員においての、非特異的な有糸分裂促進因子および組織と微生物の抗原に対する白血球、特にリンパ球の反応の変化を示すものである。CD25やCD71、そして程度は低いがHLA-DRなどのリンパ球の表面活性抗原の発現の変化により、明確な影響が現れた。疾患によっては、反応の減少と増加の両方が発見された。このような変化の機序の可能性としては、放射線誘発性の損傷が未修復のままであることと、抗原反応性細胞の抗原活性化に誘発されるアポトーシスや非特異性の免疫抑制などの一連の二次的効果などが最初に考えられるべきである。

事故処理作業員と30キロ圏内の作業員のグループでは、テロメアの長さがかなり短いのがわかった。そして、テロメアの長さと、アポトーシスの初期段階に入る細胞数および被ばく集団の被ばく年数とには、反比例の関係がみつかった(図3.74)。



また、アポトーシス抑制タンパク質のBcl-2を表現している細胞の多くが保存され、アポトーシス誘発物質であるベラパミルの生体外実験でも、これらの細胞の平均指標に著しい変化は起こらなかった。これにより、細胞集団の中で、テロメアの長さとアポトーシス開始に関して多様性があるのではないかと考えられる。

放射能と活性酸素の影響により、サイトメガロウイルス(CMV)の遺伝子発現が増加することがある。これが、チェルノブイリの事故処理作業員と急性放射線症候群の患者におけるサイトメガロウイルス血清陽性やサイトメガロウイルス再活性化の増加の理由かもしれない。サイトメガロウイルスの感染力の増大は、サイトメガロウイルス陽性の患者においての慢性胃炎や気管支炎、そして諸タイプの関節炎などの身体的疾患の発生率の増加と関連づけられている。
慢性リンパ性白血病(CLL)の患者のリンパ系細胞のIgHV遺伝子と抗菌性抗体や抗ウイルス性抗体の間にはかなりの相同関係がみつかっている。ウイルスや細菌感染は、自己抗原やアポトーシスした細胞との相乗効果により、慢性リンパ性白血病を誘発する可能性がある。チェルノブイリで被災した慢性リンパ性白血病の患者における抗体が、ウイルスや細菌の構成部分と反応する抗体と一致するという所見は、チェルノブイリ事故の四半世紀後でさえも、感染症が慢性リンパ性白血病の病因に貢献しているかもしれないことを証明する。

過去24年間の研究により、低線量被ばくにおいての免疫系の細胞反応があるのがわかったが、この反応は初期の免疫系の回復時と晩発時どちらの時期でもみられる。チェルノブイリ事故の被災者の調査結果は、実験的な放射線生物学のデータを拡大すると同時にそのデータと合致するものであり、免疫系への影響において放射線が主な要因であることを証明するものである。


メモ:2024年2月2日に公表された甲状腺検査結果の数字の整理、およびアンケート調査について

  *末尾の「前回検査の結果」は、特にA2判定の内訳(結節、のう胞)が、まとめて公式発表されておらず探しにくいため、有用かと思われる。  2024年2月22日に 第50回「県民健康調査」検討委員会 (以下、検討委員会) が、 会場とオンラインのハイブリッド形式で開催された。  ...