以下は、岩波書店の雑誌『科学』2018年1月号に初出の記事である。転載禁止。
なお、元原稿のPDFは、こちらからダウンロード可能。
甲状腺がんと放射線の影響に関するIARC国際専門家グループ「TM-NUC」について
2017年10月23〜25日に、TM-NUC(Thyroid
Monitoring after Nuclear
Accidents、原子力事故後の甲状腺モニタリング)という名称の国際専門家グループの第一回会議が、フランス・リヨンの国際がん研究機関(IARC、International
Agency for Research on Cancer)で開催された。TM-NUCのウェブサイト[1]によると、TM-NUC専門家グループは、がん検診、放射線疫学、放射線ドシメトリ(線量測定)、病理学、腫瘍学、内分泌学や外科などの様々な分野の16人の専門家から構成され、事務局長はIARCの環境・放射線部門長のJoachim Schüz氏である。この16人の専門家のほとんどは、2011年の福島第一原子力発電所事故や1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故に関連した研究プロジェクトに関わってきている。TM-NUC専門家グループの目的は、最新の科学的エビデンスと過去の経験をもとに、核事故により影響を受ける集団での甲状腺モニタリングの原則を作成することである。この原則は、政策担当者や医療関係者が原子力事故時の甲状腺モニタリングを計画・実行する際に、役立てられる見込みである。「TM-NUC」の第二回会議は2018年2月21〜23日に予定されており、最終的な提言は2018年4月末までに作成されることになっている。
TM-NUCウェブサイトのトップページの最後には、「TM-NUCプロジェクトは日本の環境省による資金提供を受けている」と記されている。つまり「TM-NUC」とは、2017年6月5日に開催された第27回「県民健康調査」検討委員会で環境省の梅田珠美環境保健部長により公表された、あの「IARC国際専門家グループ」なのである。
IARC国際専門家グループ設立の経緯
そもそもの発端は、2016年12月27日に開催された第25回「県民健康調査」検討委員会で、星北斗座長により、検討委員会をどう進めて行くかについてのさまざまな国際機関からの意見を、県民にきちんとわかるようにひも解いて説明してもらうための、「第三者的、中立的、学問的、国際的、科学的、今日的な専門家による検証プロセス」(“第三者機関”)の設定についての提案がなされたことである[i]。
そのきっかけと思われるのは、2016年9月26〜27日に日本財団の主催で福島市において開催された「第5回放射線と健康についての福島国際専門家会議
福島における甲状腺課題の解決に向けて~チェルノブイリ30周年の教訓を福島原発事故5年に活かす~」が、2016年10月31日付けで公表した提言書である[ii]。提言3では、放射線と健康影響に関して豊富な経験を持つ国際機関ーーWHO(世界保健機関)、IAEA(国際原子力機関)、ICRP(国際放射線防護委員会)、NCRP(米国国立放射線防護審議会)、UNSCEAR(原子放射線に影響に関する国連科学委員会)IARC(国際がん研究機関)などーーと協力し、福島の経験を国際社会と共有することの重要性が述べられている。(ちなみに、これらの国際機関のメンバーは、この会議の組織委員会にも提言作成会議で協議した招聘専門家にも含まれている。)提言4では、福島原発事故の健康影響の低減と健康モニタリングに関する課題を取り上げる専門作業部会「原子力災害と甲状腺モニタリング」の招集が提案されている。この専門作業部会は、特に甲状腺問題に焦点を絞ることで、現在の福島における甲状腺超音波検査の将来について、国際的合意とみなされる専門的な提言を提供できる可能性がある、と述べられている。
この提言書は2016年12月9日に福島県知事に提出され、さらにひと月前の2016年11月15日にはUNSCEAR2016年白書[iii]が公表されているが、星座長は、それらの国際的評価の内容について、県民や国民の多くに十分な説明が足りていないことを懸念したようである。この時点での星座長の見解は、“第三者機関”には、甲状腺検査結果とは切り離した上で、甲状腺と放射線との関係について学問的なレビューをしてもらい、その結果を検討委員会に報告してもらうというものだった。梅田委員は、「大事なことは、学的な知見をひも解いて行く、特に一般の皆様によくわかりやすく伝えていくにあたっても、この検討委員会がそうであるのと同じように、透明性を確保してオープンな場でやっていくことではないかと思います」と述べている。一方、春日文子委員は、わざわざ第三者機関を設定するよりも、検討委員会の下に置かれている甲状腺検査評価部会を再開し、国内外の専門家を何度か招いて話を聞く可能性を提案している。
2017年2月20 日の第26回検討委員会[iv]では、この“第三者機関”について、県側から、「今後、検討委員会等で議論していく上での必要な材料、情報として中立的な立場から最新の知見を整理していただくということが必要だと考えております。そのため、検討する場として検討委員会とは別の独立した機関を想定しておりまして、国の協力も得ながら国際機関等とも相談していきたいと考えております。」という旨の中間報告がされている。梅田委員も、「甲状腺検査評価部会と並行し、側面的に、国際的な論文等も含めて最新の甲状腺の臨床的な、疫学的な知見や論点をレビューし、整理して行く作業を行う場であり、それを県民が理解しやすいように発信していく場」とコメントしている。
そして2017年6月5日の第27回検討委員会[v]では、梅田委員から次のような報告がされた。「この“第三者機関”について、国連機関がいいのではないかと考えて探していたところ、WHO内のIARCが甲状腺モニタリングに関する国際専門家グループを開催する意向を持っているということがわかった」と言うのだ。そして、環境省としては、このIARC国際専門家グループの開催に賛同・支援することを決定した旨、報告された。この国際専門家グループは、福島の甲状腺検査の結果の分析や、今後の検査のあり方を議論する場とは想定されておらず、国連機関として、今後、加盟国各国で公衆が放射線に被ばくするような事故が起きた際に、甲状腺モニタリングをどうするかという議論を行う場として設置され、加盟国各国の政策担当者や医療関係者に対して科学的知見を整理し、情報提供する場であると言う。
環境省による資金拠出
検討委員会での梅田委員の報告では、IARC国際専門家グループの案に「偶然」出会ったかのような言い分だった。しかし驚いたことに、この検討委員会のわずか2日後の6月7日付けで、同事業を委託する事業所の入札情報が環境省ウェブサイト[2]で公開された[3]。今ではウェブサイトから削除されてしまっている「委託契約書(案)[4]」によると、環境省は、平成29年度から平成30年度の2ヶ年にかけて実施されるこの事業を「原発事故後の甲状腺モニタリングの長期戦略に関する国際専門家グループ」と呼んでいる。15名程度のグループによる活動内容には、フランスのIARC本部での2度の会議および現地視察(東京電力福島第一原子力発電所の視察、甲状腺検査会場と福島県立医科大学県民健康管理センターの視察、国際専門家グループおよび国内専門家による意見交換)が含まれている旨、記述されている。国際専門家グループの「委員の人選、委員招聘に関する事務、検討会の設置・運営、資料の作成及び委員に対する旅費・謝礼の支払い等に関しては、別紙2のとおり外注により行うこととする」と説明されており、「別紙2」には、その外注先がIARCで、契約予定金額が281,700ユーロであることが記されている。また現地視察の際の旅費はこの金額に含まれていないと思われるが、居住地から成田空港まで「可能な限り直行便又は乗継回数が少ない便を想定し、ビジネス(C)の往復料金を支払う」、謝礼として「一人につき、一日あたり17,700円を支払う」など、具体的に指示されている。
さらに、国際専門家グループが作成する予定の報告書2つのタイトルもすでに決まっており[5]、これらの報告書「科学根拠に関するレビュー等」および「研究課題に関する詳細なデザインとその研究活動の要点」の翻訳は、平成30年度の委託業務として「別紙1」に記載されている。この「別紙1」には、IARCに対して、国際専門家グループによる会議費用等に対する費用80,700ユーロを支払うことが記されている。
つまり環境省は、IARCに対して362,400ユーロ(4788万円)を拠出するのみならず、海外からの専門家らの招聘も含め、福島県での現地視察にかかる費用もすべて請け負うことになっているのである。
IARC国際専門家グループのメンバー構成
「委託契約書(案)」によると、専門家グループは、「フランス4名、フィンランド1名、米国3名、日本1名、韓国1名、ドイツ1名、ウクライナ1名、英国1名、イタリア1名、スイス1名程度を想定」と記述されているが、ここまで具体的であるということは、IARC国際専門家グループが公表された時点で、メンバーがほぼ決まっていたのではないかと推測される。
TM-NUCウェブサイトで公表されたメンバーリスト[6]によると、専門家は上記の15名にロシアから1名が追加され、16名となっている。その内訳は、フランスからは、IARCの環境・放射線部門のEvgeniya Ostroumova氏とAusrele Kesminiene氏[7]、同じくIARCの感染症・がん疫学部門の医療統計専門家Salvatore Vaccarella氏、そしてIRSN(放射線防護・原子力安全研究所)の放射線疫学専門家のDominique Laurier氏の4人。フィンランドからはタンペレ大学疫学部の学部長かつSTUK(フィンランド放射線および核安全局)研究者のAnssi Auvinen氏。米国からは、メイヨー・クリニックの内分泌専門医で共有意思決定リソースセンター所長のJuan P. Brito氏、ダートマウス大学のダートマウス健康政策・臨床診療研究所の准教授で過剰診断を専門分野のひとつとする耳鼻咽頭外科医のLouise Davies氏、ペンシルバニア大学の小児甲状腺専門医でフィラデルフィア小児病院甲状腺センター所長のAndrew J. Bauer氏の3人。日本の1名は、福島県立医科大学臨床検査医学講座主任教授の志村浩己氏で、韓国の1名は、高麗大学大学院公衆衛生学研究科予防医学部門長のHyeong-Sik Ahn氏である。ドイツの1名は、ヴュルツブルク大学教授で核医学専門家のChristoph Reiners氏、ウクライナの1名は、ウクライナ医学アカデミー内分泌代謝研究所所長のMykola Tronko氏、英国の1名は、インペリアル・カレッジ・ロンドンの分子病理学者でチェルノブイリ組織バンク事務局長のGeraldine Thomas氏[8]、イタリアの1名は、シエナ大学教授で内分泌医のFurio Pacini氏、スイスの1名は、米国出身の腫瘍外科医で現在はWHOのテクニカル・オフィサーであるAndré Ilbawi氏、ロシアの1名は、ロシア連邦医学生物物理学センターのSergey Shinkarev氏である。
メンバーは、各分野の「権威」が集められ、そうそうたる顔ぶれであると言える。
Tronko、Thomas、Shinkarev、Reiners、Kesminiene、Ostroumova氏らは、チェルノブイリ事故に関わる研究に携わってきており、放射線と健康影響関連の論文や会議で名前を見かけることも多い。Laurier氏はPh.D.生統計学者、
Auvinen氏はM.D.,
Ph.D.を持つ疫学者として放射線疫学分野に関わってきており、それぞれ、ICRPとUNSCEARのメンバーでもある。Pacini氏も甲状腺がんについて多くの論文を出している。
一方、米国からのメンバー3人はすべて臨床医で、放射線被ばく分野との接点は特に見られないが、診断ガイドラインや過剰診断論との関わりがある。Bauer氏は、米国甲状腺学会(American
Thyroid
Association、ATA)に深く関わっており、ATAが2015年に発表した「小児甲状腺結節・分化型甲状腺がんガイドライン」作成委員会の共同委員長でもある。山下俊一氏もこのガイドラインの共著者であり、ATAの学会誌『Thyroid』の編集委員でもあることから、Bauer氏は山下氏との接点を持っていると思われる。Davies氏は、折しも、2017〜2018年のフルブライト・スカラーとして、過剰診断の問題を軽減するひとつの方法である経過観察への公衆の理解と参加を促すという研究に携わっており、2017年9〜10月には来日し、神戸の隈病院で、微小甲状腺がんで経過観察中の患者や経過観察に関わる医療スタッフと医師らへの聞き取り調査を行っている。またDavies氏は、米国予防医学専門委員会が2017年5月に発表した成人での甲状腺がん検診に対する勧告(成人での検診は、放射線被ばく歴がある場合など以外は非推奨)について、”Don’t
check neck(首のチェックはするな)”というタイトルの論説[vi]を共著している。Brito氏も過剰診断関連の論文の著者であり、韓国での甲状腺がん増加について警笛を鳴らしてきたAhn氏と共著の論文もある。
Thomas、Ahn、Reiners、Kesminiene氏らは、このIARC国際専門家グループのそもそもの発端である「第5回福島国際専門家会議」にも発表者として登壇している。さらにThomas氏はこの専門家会議組織員会代表として提言書に名前が記載されており、またReinersとKesminiene両氏は、提言作成会議で専門家として協議に加わっている。
IARC国際専門家グループの第一回会議の内容
第一回会議の議題[9]では、メンバーそれぞれが受け持ちの分野について発表している。初日の10月23日は甲状腺がん、がん検診、放射線被ばくについての基礎的な内容で、午前中はIlbawi氏が「がん検診の原則とWHOの見解」、Vaccarella
氏が「甲状腺がんの疫学」、Ahn氏が「甲状腺がんスクリーニングテスト:韓国での経験」、そしてThomas氏が「分子病理学、自然史、予後」を発表した。午後は、Brito氏が「フォローアップ戦略、患者と臨床医の見解」、Davies氏が「治療の副作用、がん検診における過剰診断についてのコミュニケーションの問題」、Auvinen氏が「放射線被ばくと甲状腺がんリスク」、Laurier氏が「放射線と甲状腺がんの統計分析」を発表した後、「甲状腺がんスクリーニングの利益・不利益」というタイトルのディスカッションで締めくくられている。2日目の10月24日は、福島事故、チェルノブイリ事故、そしてSHAMISENプロジェクト(次のセクションで説明)についての報告が主で、午前のセッションは、福島県立医科大学の志村氏による「福島県民健康調査:甲状腺がんスクリーニング」と「核事故とスクリーニングの心理社会的影響」で始まった。ちょうど10月23日に第28回県民健康調査検討委員会が開催された所だったので、最新データが共有されたのだろうか。引き続き、Tronko氏が「チェルノブイリ事故後の甲状腺がんスクリーニング」、Reiners氏が「患者の特徴、治療とアウトカム」、Pacini氏が「チェルノブイリ事故後に観察された他の甲状腺疾患」と、チェルノブイリ関連の発表を行った。休憩をはさみ、Shinkarev氏が「核事故後の甲状腺線量の評価—福島事故とチェルノブイリ事故からの教訓」を発表したあと、Ostroumova氏とKesminiene氏によりSHAMISENプロジェクトについての発表「放射線災害時の人々の健康の改善のための勧告」と「倫理的考慮」が行われた。そして、TM-NUCの3人のアドバイザーのひとりであるWHOのMaria
Perez氏が「公衆とステークホルダーの関与」という発表を行ったあと、甲状腺がんスクリーニングの利益・不利益についてのディスカッションで午前のセッションが締めくくられた。24日午後は、「最終報告のアウトライン、推奨と正当化」というタイトルのディスカッションが2時間15分行われ、30分の休憩をはさんでまた1時間行われて終わった。この最終報告のアウトラインについてのディスカッションは、3日目の25日にも引き継がれ、1時間が割り当てられた。25日は午前のセッションのみだったが、このディスカッション以降は、事務局の科学コーディネーターのKayo
Togawa氏によるアクションプランとタイムラインについての説明や、その他の会議運営の業務にあてられており、2日目のアジェンダがこの会議の核心とでも言うべきだということが明らかである。
SHAMISENプロジェクトについて
SHAMISENプロジェクト[10]は、将来の放射線災害における被ばく集団での健康サーベイランスやコミュニケーションについての勧告を策定するため、EUのEURATOM(欧州原子力共同体)から資金提供を受けるOPERRA(Open
Project for European Radiation Research
Area)というプロジェクトの傘下で、2015年12月に発動した。2017年7月に公表された勧告は、主にチェルノブイリ事故と福島事故の経験に基づいており、放射線災害における準備、初期や中期への対応、復興期の改善に役立つ28の提案から成り立っている。SHAMISEN勧告の著者陣には、「TM-NUC」メンバーのKesminiene、Laurier、Ostroumova氏らの名前が見られ、福島医大の大葉隆、谷川攻一両氏も共著者となっている。Thomas、Tronko両氏は、外部専門家のリストに入っている。SHAMISENプロジェクトの勧告は、公式に和訳もされている[11]。
ここで留意すべきは、そもそもSHAMISENプロジェクトの勧告は、科学的な分析をベースとしながらも、むしろ心理・社会・経済的影響を優先した「政治的な施策決定への提言」という特色を色濃く持つということである。福島県のデータに関しては、基本的に1巡目のデータしか解析しておらず、経過観察中に甲状腺がんと診断された、いわゆる「別枠」も漏れたままの偏ったデータを分析ベースとして構築された勧告である。
しかも、プロジェクトをすでに終えているにも関わらず、SHAMISENについては、日本国内においていまだに公式な説明も無く、ましてや存在そのものが国民に全く知らされておらず、国内ましてや県民の同意を得て開始されたプロジェクトでもない。
SHAMISENプロジェクトの集団健診についての勧告「R−25」では、系統的な甲状腺がんスクリーニングは推奨されていない。R−25の「背景」説明には、「福島では、高性能な超音波診断装置を用いた集団検査によって、非常に多数の甲状腺結節やのう胞、そして、いかなる臨床症状も健康への影響もないかも知れない潜在的ながんが多数発見されている(過剰診断)。甲状腺がんの多数は予後が良好で、かつ進行が遅いことから、スクリーニングは患者に利益をもたらすことがほとんどなく、人々に相当程度の懸念や不安と同時に不必要な治療による悪影響(大半が手術や生涯にわたる薬物療法)をもたらす[12]」と記述されている。「過剰診断」に関しては、無症状で10mm以下という小さいサイズでありながらも実際には手術適応であった症例がほとんどを占めていたという、現実の臨床データには根拠が見られない。さらに、「甲状腺がんの多数は予後が良好で進行が遅く、スクリーニングは利益より悪影響をもたらす」云々の引用文献は、『Science』誌の記者による福島の甲状腺がんに関する記事なのだが、その元となる情報に偏りが見られることもあり、国際プロジェクトの勧告にはお粗末すぎる引用である。
そして「方法」では、希望する住民には適切なカウンセリングとともに甲状腺がんスクリーニングが提供されるべきであるとしながらも、「スクリーニングプログラムでは、甲状腺の触診など身体診療に基づいたものが想定されるが、その場合にも、疑わしい事例に限定して超音波検査に紹介されることになる。」と、超音波検査でのスクリーニングは勧めていない。これは、不安を取り除こうとするあまり、福島での臨床データを無視しているのではないだろうか。事実、勧告の最終ページの協力者リストには、長崎大学の山下俊一氏や高村昇氏、そして緑川早苗氏や大津留晶氏などの福島医大関係者の名前が連なっているが、「過剰診断・治療を否定」「甲状腺検査の継続」を提案している臨床現場の鈴木眞一氏の名前が見られないことからも、このSHAMISEN勧告は現場の判断や意見を無視した非科学的な勧告であることを意味する。
さらに驚くことは、EU圏で進められたこのSHAMISENプロジェクトのリーダーである外部ハブ機関「バルセロナ世界保健研究所(ISGlobal)」のElisabeth Cardis氏[13]が、実はIARCのKesminiene氏と全く同様な経歴を持ち、IARC の環境・放射線部門の元部門長でもあったことである。
IARC 国際専門家グループ「TM-NUC」の第三者性と中立性への疑問
IARC国際専門家グループ「TM-NUC」は、はたして、星座長の「第三者的、中立的、学問的、国際的、科学的、今日的」と言う条件を満たしているのだろうか。「学問的」「国際的」「今日的」という面では文句のつけようがないかもしれない。「科学性」に関しては、前提や提示されるデータの科学的公正性に依存する上、メンバーの中には、科学的でない発言を繰り返している人もいる。そして、これまでのIARCと福島医大との関係を辿ると、「第三者的」「中立的」とは言い難い。
たとえば、2012年11月17〜18日には、IARCの環境・放射線部長のJoachim Schüz氏が福島医大を訪問して副学長の山下俊一氏と教授(当時)の丹羽大貫氏と懇談している[14]。2ヵ月後の2013年1月23日には、福島医大の放射線医学県民健康管理センターとIARCとの間で、放射線・がん疫学分野での共同研究を承認する協定が締結されている[15]。同年10月に開催された共同ワークショップ[16]では、福島原発事故後の健康への影響に関する長期的な研究の機会と課題についての議論が行われ、その提言は、稲益智子氏[17]がIARCの代表として筆頭著者となり、英語論文[18]として発表している[viii]。この共同ワークショップでは、福島の甲状腺検査において、治療介入よりも経過観察が適しているであろう微小がんや、生涯にわたって無症状の潜在がんが、精度の高い超音波検査により過剰に診断されている可能性が認識として共有されている。鈴木眞一氏が、微小がんでさえもそのほとんどが手術適応だったことを初めて公表したのは、1年後の2014年11月14日に開催された第4回甲状腺検査評価部会だったので、この時点でそのような認識だったとしても仕方なかったかもしれない。しかし、2017年7月に公開されたSHAMISENプロジェクトの勧告では、「いかなる臨床症状も健康への影響もないかも知れない潜在的ながんが多数発見されている(過剰診断)」と、あたかも鈴木眞一氏のデータが存在しないかのような認識のままである。
おわりに
このIARC国際専門家グループ「TM-NUC」の“第三者機関”としての原案時には、「検討委員会をどう進めて行くかについてのさまざまな国際機関からの意見を、県民にきちんとわかるようにひも解いて説明してもらう」「甲状腺検査結果とは切り離した上で、甲状腺と放射線との関係について学問的なレビューをしてもらい、その結果を検討委員会に報告してもらう」「学的な知見をひも解いて行く、特に一般の皆様によくわかりやすく伝えていくにあたっても、透明性を確保してオープンな場でやっていく」など、さまざまな期待が寄せられていた。しかし蓋を開けてみると、甲状腺検査結果と切り離されているわけでもなく、県民、国民にオープンな場とも言えない状況で、透明性が確保されているようにも見えない。
第一回会議の議題からも分かるように、中立的でかつ中心的役割であるはずのIARCのメンバー2名によりSHAMISENプロジェクトの発表が終盤で行われており、これは既に科学的というよりも政治的な意思決定を促すよう、母体であるIARCが結論を導いていることは容易に推測できる。さらに重要なのは、このSHAMISENプロジェクトの勧告が、星座長や梅田委員らの「福島のデータを分析するのではなく~云々」とは実際は異なり、すでに福島を含む偏ったデータを基に構築された勧告であることである。よって、「TM-NUC」から来春に提出される提言は、「科学的な中立性」を保つものではなく、「政治的な提言」になると予測される。しかも現時点(2017年11月末)でも、IARC国際専門家グループの進捗状況やメンバー構成、ましてやSHAMISENプロジェクトの存在そのものさえも、日本国内で正式なアナウンスが成されていないのが現状である。
第5回福島国際専門家会議が、「現在の福島における甲状腺超音波検査の将来について、国際的合意とみなされる専門的な提言」を提供すると想定して提言した専門作業部会「原子力災害と甲状腺モニタリング」が、その提言に関わったThomas,
Reiners,
Kesminiene氏らをメンバーとして含む「IARC国際専門家グループ」の「TM-NUC」として発足し、その「TM-NUC」のメンバー、Kesminiene,
Laurier, Ostroumova, Thomas,
Tronko氏らが関った、非科学的で政治色の濃いSHAMISENプロジェクトが、「TM-NUC」の会議で、IARCメンバーのKesminieneとOstromouva両氏に取り上げられるというシナリオ。おそらく、「TM-NUC」の提言は、環境省が5000万円近く拠出するに値する国際的合意となるのであろう。
[2] http://www.env.go.jp/kanbo/chotatsu/20170607_97183.html
[3] 『科学』2017年7月号の白石草氏の寄稿で紹介されている。
[5] Report
1: Review the latest scientific evidence and development of principles
of TUE as long-term health monitoring instrument for populations
possibly affected by radiation exposure due to nuclear accidents.
Research agenda how to address gaps in scientific knowledge.
(報告書1「最新の科学根拠に関するレビューおよび核事故による放射線被ばくを受ける集団に対する長期健康モニタリングとしての甲状腺超音波検査の原則の作成。研究課題:科学的知見のギャップへの対処法」)
Report 2: Detailing study (designs) and features for activities from the research agenda.(報告書2「研究課題に関する詳細な研究デザインとその研究活動の特徴」
[7] Ausrele
Kesminiene氏は、後述のSHAMISENプロジェクトや第5回福島国際専門家会議などを通し、長期的に福島に深く関与してきている。しかも彼女は放射線影響研究所に所属していたこともあり、長年、チェルノブイリ調査において笹川財団や山下俊一氏や長崎大学とも密接な関係を持ってきた人物でもある。
[8] Geraldine
Thomas氏は、科学的とも中立的とも言い難い発言が多い人物である。2016年3月に、大熊町を歩きながらBBCのインタビューを受けた際、毎時3μSvでの被ばく線量は年間1mSvほどで大したことないという発言をしており(実際には年間26mSvを超える)、Keith
Baverstock氏がBBCへの抗議を繰り返した結果、BBC英語サイトの動画は削除された。現時点(2017年11月29日)でも記事と日本語吹き替え版のインタビュー動画(http://www.bbc.com/japanese/video-35770443)が掲載されたままである。2014年8月4日に福島県伊達市で開催された甲状腺検査に関する地域シンポジウム“チェルノブイリ組織バンクのジェリー・トーマス所長と対話してみよう!「甲状腺検査ってなんですか」”には、東京電力の資金援助を受けて参加している(http://dr-urashima.jp/fukushima/)。また、世界原子力協会の2012年動画「福島とチェルノブイリ
〜虚構と真実」で、「原子力事故の健康影響は、深刻なものでないかもしれない。」と述べている(http://www.jaif.or.jp/ja/jaiftv/archive44.html)。
[10] SHAMISENとは、”Nuclear
Emergency Situations Improvement of Medical and Health
Surveillance(核緊急事態での医学的および健康的サーベイランスの改善)”
の逆頭字である。SHAMISENプロジェクトの詳細については、日本語ページ「放射線災害における人々の健康と居住環境の改善を目指して」を参照のこと。
[11] SHAMISENプロジェクトの勧告の日本語版PDFは、こちらでアクセス可能。http://www.crealradiation.com/images/shamisen/Anim2/Radiation_accident_JAP.pdf
[12] この文章の最後に示されている引用文献は、2016年3月4日に『Science』に掲載された、Dennis
Normile氏による記事 “Epidemic of Fear”である。タイトルは異なるが、その記事の無料版はこちらである。
http://www.sciencemag.org/news/2016/03/mystery-cancers-are-cropping-children-aftermath-fukushima
[13] Elisabeth
Cardis 氏は、EUのSHAMISEN
プロジェクトを通し、兼ねてから福島に深く関与している。放射線影響研究所に所属していたこともあり、長年、チェルノブイリ調査において笹川財団や山下俊一氏や長崎大学、IARCのKesminiene氏とも密接な関係を持ってきた人物でもある。(http://www.creal.cat/creal/quisom/en_info_user.html?idusuari=ecardis)
[17] 稲益智子氏は、2015年時点の論文(https://t.co/pp4SfGEFM9)では福島医大・放射線医学県民健康管理センターの国際連携部門所属となっており、2016年には、IARC博士フェローとして、Joachim Schüz氏と共に長崎大学で講演を行っている。www.mdp.nagasaki-u.ac.jp/student/seminar/28/28_14.pdf
[18] この論文「会議報告:福島事故後の将来的な健康リスクに関する研究への提言」については、放射線医学県民健康管理センターのウェブサイトで日本語で説明されている。(http://fukushima-mimamori.jp/publications/2016/07/000295.html)
[ii]「第5回放射線と健康についての福島国際専門家会議」の提言書 https://www.nippon-foundation.or.jp/news/pr/2016/img/132/1.pdf
[iii] 東日本大震災後の原子力事故による放射線被ばくのレベルと影響に関するUNSCEAR 2013年報告書刊行後の進展http://www.unscear.org/unscear/en/publications/Fukushima_WP2016.html
[iv] 第26回「県民健康調査」検討委員会議事録 https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/215168.pdf
[v] 第27回「県民健康調査」検討委員会議事録https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/227150.pdf
[vi] Davies L, Morris LGT. The USPSTF recommendation on thyroid cancer screening Don’t “check your neck.” JAMA Otolaryngol Head Neck Surg. 2017;143(8):755–756. doi:10.1001/jamaoto.2017.0502
[vii] Vaccarella S, Franceschi S, Bray F, Wild CP, Plummer M, and Dal Maso. Worldwide thyroid-cancer epidemic? The increasing impact of overdiagnosis. N Engl J Med 2016; 375:614-617. doi:10.1056/NEJMp1604412. http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp1604412