以下は、岩波『科学』2019年6月号に掲載されたものである。
*2019年7月1日追記:SHAMISEN勧告の作成が、実質、長崎医大・広島医大・福島医大による「トライアングル・プロジェクト」に主導されていたという事実について、末尾に加筆した。(入稿後に判明したので、6月号記事には含まれていない。)
甲状腺がんをめぐる歪みの連環-IARC国際専門家グループ「TM-NUC」報告書・提言とは何か
2018年9月末に、原子力事故後の甲状腺健康モニタリングの長期戦略に関するIARC(国際がん研究機関)専門家グループ『TM-NUC』の報告書「Thyroid Health Monitoring after Nuclear Accidents」(以下、TM-NUC報告書1)が、IARCテクニカル・レポート第46号として公開された。TM-NUCによる提言を端的に説明すると、甲状腺集団スクリーニングは不利益が利益を上回るために推奨しないが、高いリスク(甲状腺被ばく線量100〜500 mGy以上)の個人には、十分な情報提供にもとづいた意思決定の上、長期の甲状腺モニタリングプログラムの提供を推奨するというものである。
その要約版が、2018年10月1日発行の『The Lancet Oncology』に、”Long-term
strategies for thyroid health monitoring after nuclear accidents: recommendations
from an Expert Group convened by IARC”というタイトルのコメントとして掲載された。その要約版の邦訳版「原子力事故後の甲状腺健康モニタリングの長期戦略:IARC専門家グループによる提言」は、2018年12月28日に開催された第33回「県民健康調査」検討委員会(以下、検討委員会)で環境省により公表され、同日、翻訳業務を委託されていた原子力安全研究協会のウェブサイトでもその公開が告知された。2019年2月末には、2つ目の報告書 “Knowledge gaps
and research ideas proposed by the IARC Expert Group on Thyroid Health
Monitoring after Nuclear Accidents”(邦題仮訳「知識の格差と研究課題:原子力事故後の甲状腺健康モニタリングに関するIARC専門家グループによる提案」。以下、TM-NUC報告書2)が、TM-NUCウェブサイトで公開されている。
本稿では、TM-NUCの発端である「第三者機関」の提案からの変容、TM-NUCの国際的位置づけ、TM-NUC報告書と提言の国内外での公表、報告書作成に用いられた情報・データの歪みなどを確認し、TM-NUC報告書が福島での甲状腺がんをめぐる議論にもたらしている影響について述べる。
「第三者機関」提案時の背景状況
「第三者機関」の提案からTM-NUCの設立に至った経緯については、本誌2018年1月号で詳細に説明しており、筆者のブログにも転載しているが、「第三者的、中立的、学問的、国際的、科学的、今日的な専門家による検証プロセス」としての「第三者機関」の提案が持ち上がったのは、第25回検討委員会(2016年12月27日)においてだった。ここではもう少し遡り、「第三者機関」提案時点での甲状腺検査についての公式見解と、それに関する反応はどのようなものだったかという、当時の背景状況を振り返ってみることにする。
甲状腺検査の1巡目の結果についての“公式見解”は、2015年5月に公表された、「県民健康調査」検討委員会「甲状腺検査評価部会」(以下、評価部会)による「甲状腺検査に関する中間取りまとめ」と、2016年3月に公表された検討委員会の「県民健康調査における中間取りまとめ」で述べられている。評価部会は、1巡目で見つかった悪性ないし悪性疑い112例(2015年3月31日時点)について、被ばく線量がチェルノブイリ事故と比べてはるかに少ないこと、 事故当時 5 歳以下からの発見はないことなどから、放射線の影響は考えにくいとしつつ、被ばくによる過剰発生を完全に否定するものではないが、過剰診断の可能性が高いとの意見が出ている、という見解を出している。検討委員会の「中間取りまとめ」の甲状腺検査に関する部分は評価部会の見解を踏まえているが、「過剰診断」という言葉は使わず、「将来的に臨床診断されたり、死に結び ついたりすることがないがんを多数診断している可能性」に言及し、放射線の影響とは考えにくい、と述べている。
一方、2013年12月21日には、福島県が開催した2013年度の「放射線の健康影響に関する専門家意見交換会」に、岡山大学の疫学者の津田敏秀氏と福島県立医科大学(以下、福島医大)の甲状腺外科医の鈴木眞一氏が登壇し、津田氏が、1巡目の途中結果についての解析を発表し、スクリーニング効果では説明できない甲状腺がんの多発を示唆した。2015年秋には、津田氏らによる、1巡目で発見された甲状腺がんが過剰発生であるという論文が『Epidemiology』に掲載され、物議を醸し出した。エディターへのレター7通,,,,,,および著者らの反論レターが出たあと、『Epidemiology』の発行母体である国際環境疫学会(ISEE)の欧州部門が声明を出している。
2016年8月25日には、福島県小児科医会が、同年7月3日に開催された平成28年度第51回福島県小児科医会総会で採択された声明を、甲状腺検査に対する要望として福島県知事に提出し、その際、当時の会長である太神和廣氏が口頭で「検査縮小」を要望している。「検査縮小」という言葉が出たのは、これが初めてだった。
第24回検討委員会(2016年9月14日)では、委員の一部から、チェルノブイリでは事故から4〜5年後に低年齢での甲状腺がんが急増し、事故から10年以上経っても甲状腺がんが多く見つかったのだから、事故から5年半で「縮小」を考えるのではなく、長期にわたって検査すべきだという意見が出た。また、同年4月から開始されている3巡目について、一次検査同意書と一次検査結果通知書の見直しにより、一次検査のお知らせに、それまでなかった「不同意」欄が設けられていること、二次検査対象者に受診希望の有無を確認することが判明し、それは結果的に検査の対象を絞ることになるのではないか、ということが懸念された。「県民の声」をとりまとめた資料からは、「放射線の影響は考えにくい」という公式見解に対し、「影響がないという結論ありきだ」「『考えにくい』のではなく、『分からない』とすべきではないのか」「影響は考えにくいのなら、見つかっている甲状腺がんは何が影響しているのか」「影響が考えにくいのなら、自覚症状が出てから検査をするべきだ」など、さまざまな意見が県民から寄せられていることも明らかになった。
2016年9月26〜27日に日本財団主催の第5回福島国際専門家会議が開催されたのは、このように意見が混沌としている中で、当時は、国際専門家が「検査縮小」を提言するのではないかと懸念された。12月9日に公表された提言書(以下、日本財団提言)の内容は、甲状腺検査は自主参加であるべきこと、検査についてのコミュニケーションの改善、国際機関との協力、専門作業部会「原子力災害と甲状腺モニタリング」の招集という4項目で、「検査縮小」という言葉こそ出なかったが。甲状腺検査体制の見直しを示唆するようなものであった。専門作業部会については、「特に、甲状腺問題に焦点を絞ることで、現在の福島における甲状腺超音波検査の将来について、専門的な提言を提供できる可能性がある。この国際的な合意は、政府や福島県、県内市町村、被災した地域の住民代表などすべての利害関係者と共有され、現在の甲状腺超音波検査プログラムの改善につなげるべきである」と説明されている。
「第三者機関」の位置づけの変化
第25回検討委員会で星北斗座長が「第三者機関」という概念を提案した時、当然、2週間半前の日本財団提言との関連が疑われた。しかし星座長は、自分自身の考えというわけではなく、さまざまな人の意見からの提案であると明確にした上で、2016年11月に公表されたばかりのUNSCEAR2016年白書を例にあげ、「検討委員会をどう進めて行くかについてのさまざまな国際機関からの意見を、県民にきちんとわかるようにひも解いて説明してもらうため」「甲状腺検査結果とは切り離した上で、甲状腺と放射線との関係について学問的なレビューをしてもらい、その結果を検討委員会に報告してもらうという目的」と説明している。
この時点で、1巡目では116例、2巡目では68例と、計184例の悪性ないし悪性疑い症例が見つかっており、放射線影響は考えにくいという公式見解についての「結論ありき」という県民の反応や、過剰診断や検査縮小をめぐる動きなどの問題が山積みであった。そのような状況の中、福島県での甲状腺検査「以外」の文献やデータなどを国際的な専門家らがレビューした結果得られた「国際的コンセンサス」を、議論の参考にするということになる。しかし、最後に評価部会(第6回)が開催されてから1年半以上経っており、2巡目の二次検査がまだ終了していないとは言え、その途中結果について何の見解も出されていない状況でもあり、国際的な第三者機関が本当に必要なのか? という声もあがった。評価部会の提案者である春日文子委員は、評価部会を再開して国際的な専門家を何度か招聘するという案まで出しているが、星座長は、甲状腺検査結果と切り離すことを重視した。
それから2ヶ月後に開催された第26回検討委員会(2017年2月20日)での県の中間報告では、国の協力を得て国際機関と相談中であるということだった。この時、星座長は、「ある意味、言い出しっぺでもある梅田委員」と、環境省の梅田珠美委員に対し名指しでコメントを求めている。「言い出しっぺ」と言う表現は、「第三者機関」の提案に梅田委員が深く関わっていることがうかがえる。確かに、前回、星座長にコメントを求められた委員のほとんどは提案の唐突さに戸惑っていた中、梅田委員のコメントはやけに饒舌で、検討委員会は県民健康調査のデータや経験をもとに、よりよい調査にするという政策判断をする場であると述べた上で、自分が知っているいくつかの国連機関では、科学的評価と政策決定は別々の機関によって行われていたことを説明している。梅田委員の今回の説明は、「第三者機関」は「甲状腺検査評価部会と並行し、側面的に、国際的な論文等も含めて最新の甲状腺の臨床的な、疫学的な知見や論点をレビューし、整理して行く作業を行う場であり、それを県民が理解しやすいように発信していく場」ということで、あくまで科学的評価の場であり、県民の理解に貢献するものということだった。
「第三者機関」からTM-NUCへ
その梅田委員が、2017年6月の第27回検討委員会(第7回評価部会と合同開催)で、唐突に、「環境省がWHO内のIARCによる甲状腺モニタリングに関する国際専門家グループに賛同し、支援することになった」と報告したのである。「この国際専門家グループは、福島の甲状腺検査の結果の分析や、今後の検査のあり方を議論する場とは想定されておらず、国連機関として、今後、加盟各国で公衆が放射線に被ばくするような事故が起きた際に、甲状腺モニタリングをどうするかという議論を行う場として設置され、加盟各国の政策担当者や医療関係者に対して科学的知見を整理し、情報提供する場である」というのが、この時の梅田委員による位置付けである。これは、当初の「第三者機関」の目的から逸脱し、政治的な方向性が大きくなっている。
実際のTM-NUC報告書1には、「専門家グループは、こうした意思決定プロセスにおいては、科学的根拠の他にも、社会経済的要素、ヘルスケア資源、社会的価値など、重要な考慮すべき要因があるかもしれず、また最終的な決定を行うのは政府、関係当局、原子力事故の被災地であることを認めている。これらの提言は、主に政府関係者、政策立案者、医療従事者など、原子力事故の際に、甲状腺モニタリングについての意思決定、計画策定、実施に関与する人々の参考になることを意図して作成されたものである。」とあり、「県民が理解しやすいように発信」する意図のかけらもなく、政策決定が念頭に置かれていることが明らかである。
TM-NUC報告書・提言の国内外での浸透
TM-NUC報告書1が2018年9月末にIARC刊行物として公表されてから、国内外における周知が徐々に行われてきている。
国内では、TM-NUC報告書1の公表から1ヶ月後に開催された第11回評価部会(2018年10月29日)で初めて、提言内容が簡単に紹介されている。要約版の邦訳版が2ヶ月後の第33回検討委員会で環境省により紹介された頃には、「第三者機関」の提案からちょうど2年経っていた。この時初めて、一部ではあるが、TM-NUC報告書の内容が日本語で公表されたことになる。しかしTM-NUC報告書1全体の邦訳版は2019年4月中旬時点で未公表であり、「県民にきちんとわかるように紐解いて説明」「県民が理解しやすいように発信」という当初の設定目的とは裏腹に、報告書の詳細な内容は、一般市民に伝わっていない状態である。
国内では、医療従事者への周知として、『週刊日本医事新報』No. 4944(2019年1月26日発行)で、福島医大副学長の山下俊一氏が、TM-NUC報告書1を「IARC2018年報告書」として紹介している。山下氏は、2019年3月7日に東京都内で開催された環境省主催のシンポジウム「原子力事故後の甲状腺健康モニタリングの在り方について~WHO 国際がん研究機関の報告より~」のコーディネーターも務めており、ここで、TM-NUC座長のJoachim Schüz氏自身がTM-NUC報告書について説明している。シンポジウムの開催案内によると、対象者は「原子力施設立地道府県等自治体の放射線健康管理・原子力防災・原子力災害医療の担当者、高度被ばく医療支援センター並びに原子力災害拠点病院に指定されている医療機関の医師等医療従事者、放射線医学等に関わる研究者等専門家」とされている。Schüz氏の発表スライドは、TM-NUCウェブサイトからアクセスできる。
国際的な場では、TM-NUCメンバーのLouise
Davies氏がAssociate
Editorである『JAMA Otolaryngology-Head
& Neck Surgery』(「JAMA耳鼻咽頭・頭頸部外科」)(以下、『JAMA-OHNS』)2019年1月号(オンライン掲載は2018年11月29日)で、TM-NUC提言が早々と臨床ガイドライン概要として紹介されており、これが、初めて海外の専門医らにTM-NUC提言が伝わった機会だと思われる。著者のLuc G. T.
Morris氏は、Davies氏とTM-NUC科学コーディネーターのKayo Togawa氏から情報提供および助言を受けている。また同号には、福島医大の大津留晶氏らによる論文(以下、大津留論文)も掲載されており、それに対し、TM-NUCメンバーのAndrew
Bauer氏とDavies氏が、Invited
Commentaryを出している。これらの論文については、後でもう少し詳しく説明する。
一方、2019年3月12〜13日には、米国のワシントンDCで開催された、米国科学アカデミーの原子力放射線研究委員会主催のワークショップ “Challenges in Initiating and
Conducting Long-Term Health Monitoring of Populations following Nuclear and
Radiological Emergencies in the United States: A Workshop”で、Togawa氏が、国際機関からの提言として、TM-NUC提言を紹介している。
このように、国内外で、一般医療界に対しては医学誌への論文掲載、放射線防護分野に対しては口頭での周知活動が行われてきている。
TM-NUC報告書のエビデンス
このTM-NUCによる提言は、甲状腺集団スクリーニングは過剰診断という不利益が利益を上回るため推奨されないが、甲状腺被ばく線量が100〜500 mGy以上という、リスクがより高い個人には、利益と不利益について十分な説明を受けた上、長期の甲状腺モニタリングプログラムを選択する機会を提供するというものである。TM-NUCが、「福島の甲状腺検査の結果の分析や、今後の検査のあり方を議論する場」であると想定されていないことは、梅田委員が最初からはっきりと述べており、TM-NUC報告書にも明記されている。しかし実際には、福島の甲状腺検査の結果や偏った分析が報告書に盛り込まれている。さらに、検討委員会や評価部会の一部の委員らの間で、その提言を、国際的な専門家による提言として福島の甲状腺検査の今後のあり方に活かそうとする動きがある。
甲状腺がんスクリーニングについては、剖検論文、無症状の成人ではスクリーニング推奨しないという最新のUSPSTF(米国予防医学専門委員会)勧告、3つの小児がんグループによる推奨を調和化してコンセンサス推奨を提示したクレメント論文やチェルノブイリのコホート調査を挙げ、韓国の成人でのスクリーニングについて詳しく説明している。前述の環境省シンポジウムでのSchüz氏の発表では、放射線被ばく歴がある場合はUSPSTF勧告でもスクリーニング対象となっていることに言及し、それゆえに被ばく集団は分けて評価せねばならないことが、過去の原子力発電所事故の経験を考慮する理由だと説明している。小児期・思春期の甲状腺がんの生存率などに関しては、国外での、甲状腺全摘後の放射性ヨウ素療法という、侵襲性の高い術式や臨床管理にもとづいたデータが引用されている。福島の甲状腺検査については、その枠組みや結果が報告書で詳しく説明され、結果の解析にもとづく情報が盛り込まれている。
実際に福島の甲状腺検査が考慮されているのかについては、第34回検討委員会(2019年4月8日)で大阪大学の髙野徹委員が、TM-NUCに参加した福島医大の志村浩巳氏に質問している。志村氏は、自分は“福島の情報を伝えるスペシャリスト”として議論の一部に参加したと前置きし、TM-NUC報告書1は過去の知見に積み重ねたもの、TM-NUC報告書2は前向きに議論したもので、TM-NUC提言のもととなるTM-NUC報告書1の大前提が、将来起こるかもしれない事故に対して過去の論文で発表されている過去の蓄積された知見から解析をするというものであると説明している。国立がん研究センターの津金昌一郎委員が、「福島県から出た論文は一切引用されてないということですか?」と聞くと、志村氏は、福島に関する論文は、議論の時点で発表されているものは含まれている、と答えている。
これは、前回の第33回検討委員会(2018年12月27日)での津金氏の「福島の状況を踏まえて、福島で起こっていることをすべて知った上で」との発言とは矛盾し、検討委員会や評価部会で公式に報告されている以上のデータは、後述する“アクティブ・サーベイランス実施状況“以外には、ほぼ含まれていないということになる。また津金委員の質問から、津金委員が一体、TM-NUC報告書1をどのくらい読み込んだ上で「福島の状況を踏まえて、福島で起こっていることをすべて知った上で」という発言をされたのかさえ疑わしい。
本誌2019年3月号で詳細に説明したが、甲状腺検査関連の引用文献にも偏りが見られ、3巡目データまで含む最近のものでも、1巡目データのみの解析にもとづいて、事故当時5歳以下だった人でがんが見つかっていないこと、チェルノブイリと比べて被ばく線量が低いこと、大きな地域差がみられないことなどを理由に、放射線影響を時期早々に否定しつつ、スクリーニング効果と過剰診断を強く推している。「地域差がみられない」という項目以外は、前述の評価部会と検討委員会それぞれの中間取りまとめから変わっていないのには理由がある。2巡目の結果を解析するはずの評価部会が2年以上再開されず、解析が進んでいなかったからである。
「100〜500 mGy」という判断
TM-NUC提言では、リスクが高い個人を、「胎児期・小児期・思春期に100〜500 mGy以上の甲状腺線量を被ばくした者」と定義している。この「100〜500 mGy」という線量が選ばれた理由として、TM-NUC報告書1のp. 47 には、「過剰な甲状腺モニタリングによる不利益の可能性と、リスクが最大である個人の特定との間のバランスを取るため」であると説明されている。しかし、p. 71でレビューされているLubinらによる2017年論文(以下、Lubin論文)は、200 mGy未満の線量域でも線量と甲状腺がんのリスクがLNT関係にあり、しきい値もないということが示された論文で、50 mGyくらいから甲状腺がんの相対リスクが1.5倍になることが、p. 71のFig. 8(Lubin論文より引用)からみてとれる。Lubin論文については、第12回評価部会で鈴木部会長も、「小児甲状腺がんの疫学解析の中では一番新しくて、しかもかなり強いデータ」であると説明している。つまり、このように強い最新の科学的データが存在するにも関わらず、あえて「100〜500 mGy」を選んだことになる。
前述の東京での環境省シンポジウム(2019年3月7日)後の記者会見で、ジャーナリストのおしどりマコ氏がSchüz氏に、「Lubin論文が50 mGyで1.5倍の相対リスクを示していることを、どのように解釈しているのか? 100〜500 mGyは実務的な範囲であるという説明だったが、Lubin論文の50 mGyというのは、リスクは上昇するが実務的でないということなのか?」と質問している。これに対し、Schüz氏は、「放射線と甲状腺がんリスクはLNTモデルが最適なモデルで、それによると最小の線量でも甲状腺がんリスクは上昇することになるが、絶対リスクが非常に小さいことには変わらない。甲状腺がんは非常に稀な疾患であり、たとえリスクが2倍になったとしても罹患率は低いままである。さらに、自然放射線による甲状腺線量は年間1.0〜1.2 mGyと、ゼロリスクを達成することは不可能なため、原子力事故の有無に関わらず集団にリスクが存在することになる。集団におけるすべての放射線誘発性甲状腺がんを特定しつつ、モニタリングで発見されなければ、生涯の間、治療が必要でなかったであろう過剰診断を最小限に留めるという、実務的なバランスが取れるような介入レベルを、できるだけ完全に、決めなければならない。本専門家グループが感じるのは、そしてこれは実際のところ、科学的データにもとづいた専門家の判断であり、データからどのような事実が得られるかということではないのであるが、過剰診断例を、より多く包括あるいは排除するためには、介入レベルを100 mGyから500 mGyという範囲のどこかに定めることが、おそらく、現在得られる科学的データをもとにして、リスクがより高い集団を定義するための最善の方法ということになる」(筆者訳、下線筆者)と答えている。
下線部の原文は、”this is really an expert judgement based on the scientific data
and not how facts come off from the data” で、動画音声では”facts”の箇所が非常に聞き取りにくく、”effects”である可能性もあるのだが、いずれにせよ、文章の主旨は変わらない。つまり、科学的データにもとづくのはあくまで専門家グループの判断であり、事実(ないし影響)として示されたものではないのである。
SHAMISEN勧告との関係
本誌2018年1月号では、TM-NUC設立経緯を説明し、将来の放射線災害における被ばく集団の健康調査やコミュニケーションについての勧告を策定したSHAMISENプロジェクト(以下、SHAMISEN)を紹介した。TM-NUCとSHAMISENの密接な関係にも触れているが、この「100〜500 mGy」が、集団甲状腺スクリーニングに関する勧告「R25」の補強エビデンスかもしれない可能性がある。(注:SHAMISEN勧告の作成が、長崎医大・広島医大・福島医大による「トライアングル・プロジェクト」に主導されていたという事実については、末尾で説明している。)
SHAMISEN勧告が公式に公開されたのは2017年7月7日だが、実は公開前バージョンの一部が、2017年5月3日にフランスの国際放射線防護委員会(GT-CIPR)の会合で発表されている。その2つのバージョンでの「R25」を比べると、公開前に改訂されていたことがわかる。以下が、その改訂で重要と思われる箇所の比較である。
改訂前:It is not reasonable to consider a dose value
below which screening is recommended or not.(著者訳:その線量を下回ればスクリーニングが推奨されるか否か、という放射線量を考慮することは適切ではない。)
改訂後:Since dose is only one of many criteria
influencing screening decisions, it is not reasonable to identify an absolute
dose level at which screening would or would not be recommended.(公式和訳:放射線量は、スクリーニングの判断に影響を与える多くの基準の一つに過ぎないことから、スクリーニングが推奨されるか否かの基準として、具体的な放射線量のレベルを特定することは適切ではない。)
いずれも、スクリーニング推奨の判断基準に線量を考慮することが適切ではないという内容が含まれ、一見すると意味に大差はないようであるが、改訂後のバージョンは微妙に変化しており、線量がスクリーニング推奨の“判断基準の一つ”とされている。線量を指標にいれると、どうしても線量の値に幅をもたせることになり、SHAMISEN勧告を導入したEU国家での意志決定にゆらぎを与え、結果的に国家間で防護基準や賠償基準がずれることになる。それなのに、なぜ、このような改訂が行われたのか?
実は、この改訂とTM-NUCに関連があるかもしれないのだ。SHAMISENと同じOPERRAプロジェクトの傘下に、CAThyMARA(Child and
Adult Thyroid Monitoring After Reactor Accident、原子炉事故後の小児・成人甲状腺モニタリング)というプロジェクト(以下、CAThyMARA)がある。CAThyMARAは、事故後の放射性ヨウ素131の測定による内部被ばく評価に特化した、実質、SHAMISENの裏舞台とも呼べるプロジェクトである。2017 年2月9日に、フランスで、CAThyMARAのワークショップ “Dosimetry
and health care after a nuclear accident – views from experts and civil
society”(原子力事故後のドシメトリーと医療ケア——専門家と市民社会の視点)が開催され、南相馬病院の坪倉正治氏が福島での状況を報告している。
このワークショップの議事録は、“OPERRA
Deliverable D5.23“と称された報告書に収録されている。当時終了間近(最終会議が3月24日)だったSHAMISENについて、責任者のElisabeth
Cardis氏が発表しており、発表資料によると、「長期モニタリング」については、まだはっきりとは決定しておらず、「特定の住民だけ(例えば子供)」と記述されている。その後の議論でCardis氏は、勧告はまだ議論中で、翌朝(2月10日)、会議があることに言及している。またここで初めて、「系統的・強制的なフォローアップは推奨しない」と言及している。日本であれほどの頻度で微小がんが見つかっていることから、小児の微小がんは予想以上に多いことがわかってきており、超音波検査によるスクリーニングは、人々にパニックをもたらすリスクや、過剰診断・過剰治療による財政的問題が起こるので危険である、と説明している。そして「スクリーニングをしないリスク」についての質問に対し、まずは触診するように、と回答している。
その後、スクリーニング提供についての意見を聞かれた坪倉氏が、福島では検査の縮小が必要、多くの子供への不必要な介入が行われている、信頼できる線量評価データがあればそもそも健康調査は不要である、と答えている。先の坪倉氏の発表では、南相馬病院でWBC測定を行った経験から、人々が望んでいるのは、スクリーニングではなくて、ケア(気配り)やアドバイスや結果の説明であり、シーベルトなど理解できないから意味がなく、線量など知りたがっているわけではないという私見を述べており、福島では線量データがないから甲状腺検査をやめることができないとまで述べている。
つまり、CAThyMARAワークショップにおいて、Cardis氏が「系統的なスクリーニングを推奨しない」と突然言いだし、それが最終勧告の「R25」に盛り込まれ、公表前に線量が“判断基準の一つ”であると改訂されており、その裏付けになったとも言えるのが、「線量評価データがあればスクリーニングは不要」という、坪倉氏の私見にもとづく「証言」で、個人的・独断的意見がそのままSHAMISEN 勧告に反映されていることになる。しかし、線量がスクリーニングの判断基準になるというのは、裏づけとなるデータ自体が存在しないため、非常にエビデンスの弱い部分となってしまった。とは言え、CAThyMARA側で医療介入する線量を評価するという展開にはならず、SHAMISEN側は政治経済的色が強いため、各国の判断にまかせるということにし、そのエビデンスが弱い部分を、TM-NUCが「100〜500 mGy」という具体的な数字を提示したという流れであれば、納得がいく。
いくつか、それを証明だてるヒントを紹介しておく。
まずTM-NUCとSHAMISENの両プロジェクトに、IARCのAusrele
Kesmeniene氏が参加していること。またTM-NUCの第1回専門家グループ会議(2017年10月23〜25日)において、Kesmeniene氏が自らSHAMISENのプレゼンテーションを行っていること。これらは、"科学的・中立的"であるはずのTM-NUC会議において、IARCが政治経済的なSHAMISEN勧告を露骨に持ち込む結果となってしまっていることだ。最後に、透明性を担保するはずのTM-NUCが、会議は非公開であり議事録等も未公開であることにも留意すべきだろう。
そもそも、SHAMISENとCAThyMARAを傘下とするOPERRAプロジェクトは、「EU-Horizon
2020」という、EU圏の研究革新プログラムの一環である。EU圏での放射線防護への取り組み方は国によって異なるため、"線量を指標とせず"に、政治経済的に国家情勢で判断しろというのが改訂前の「R25」であると思われる。そこにわざわざ、しかも議論の最終段階で、線量を盛り込むことになったのだ。しかも実際の改訂が、3月末に最終勧告がすでに決定され、5月には非公式発表された後の、7月の公表前というぎりぎりのタイミングであったのは、かなり揉めたであろうことがうかがわれる。TM-NUCへの協力が梅田氏により公表されたのは6月であるが、環境省の予算は3月には確保されていたと思われ、「R25」への盛り込みとほぼ同時期である。環境省が全額負担しているのは、それなりの理由があるのではないだろうかと思わせる。
もしTM-NUCが提示した「100〜500 mGy」が、明確な “心理・社会・経済的な配慮と政策提言を伴う勧告”であるSHAMISEN勧告の補強エビデンスであるのだとしたら、もはや、TM-NUC報告書自体、“科学的な勧告”ではなくなる。「100〜500 mGy」の根拠についての矛盾した説明は、それが科学的ではなくが政治的に決定されているのであれば、ある意味、理解できるものとなる。
小児における過剰診断のエビデンス
TM-NUC報告書1の「小児甲状腺がんにおける過剰診断」というセクションで引用されている“エビデンス”は、“10歳を超える子どもで潜在がん保有者が存在することが剖検でわかっている”と引用されたフィンランドの1986年剖検論文と、福島の甲状腺検査に関連した3つの論文(鈴木論文、高橋論文、緑川論文)である。
甲状腺乳頭がんに臨床症状のない潜在がん保有者が存在することは、剖検データから知られてはいるが、小児の剖検データは症例数が非常に少ない。フィンランド1986年剖検論文では、40歳以下の若年成人と小児93人の剖検で、20歳以下58人(1歳未満15人、1〜10歳21人、11〜20歳22人)のうち3人で潜在性の甲状腺乳頭がんが見つかり、最年少は18歳男性だったとされているのだが、18歳以外の2人が19歳なのか20歳なのか不明である。この論文に引用されている同著者らの別シリーズ(フィンランド1985年剖検論文)では、101 人の剖検で20歳以下1人中1人に潜在がんが見つかっている。1985年論文のTable 4は、1986年論文のデータと合わせたものであるが、15歳以下42人中1人に潜在がんがあり、1985年論文の本文から11歳男子であることがわかる。また1985年論文には、このTable 4を根拠に、潜在がんは小児ではほとんどみられないが、18歳以降では成人とほぼ同じオーダーでみられると述べられている。スウェーデン論文も引用されており、430人の剖検で、20歳以下12人中、17歳2人で潜在がんが見つかっている。11歳1人、17歳2人、18歳1人の剖検例は、「10歳を超える子どもで潜在がん保有者が存在する」ことのエビデンスではあるかもしれないが、それが過剰診断のエビデンスであることにはならない。そもそも、潜在がんが小児ではほとんどみられないと述べている1985年論文を「小児甲状腺がんの過剰診断」のエビデンスとするのは、引用の失敗としか言えない。
鈴木論文は、1巡目の「ベースライン」データが、小児期・思春期の子どもたちでも潜在がん保有者が存在するという証明になるとして引用されている。しかし論文内では、被ばく線量が低いことと潜伏期間中であることから放射線影響とは考えにくいので、過剰診断の可能性があるという「公式見解」を述べながらも、腫瘍径が5mm未満の場合、すぐに手術しないように注意を払っていると説明しており、もともとの「公式見解」の論理矛盾が露呈している。高橋論文は、がん進展モデルを用いたシミュレーションにより、放射線被ばくがない状況で甲状腺検査をしたとしても、1巡目と同じくらいの数のがんが見つかったであろうという論文で、第9回評価部会で紹介されているが、放射線の影響がないという仮定そのものや、がん進展モデルとパラメータの設定にバイアスが入っている可能性が強い。緑川論文も第9回評価部会で紹介されており、1巡目の悪性・疑い例の一次検査と二次検査の間での超音波画像における腫瘍径の変化を解析した結果、成長パターンのシミュレーションにより、腫瘍が直線的に増大する時期の後に増殖が停止し、5mmの腫瘍であれば平均8年で成長が停止すると結論づけた論文である。しかし観察期間が6ヶ月と非常に短いうえ、あくまで数学モデルにもとづいた仮定であるはずなのだが、論文のDiscussionでは、8年での成長停止が観察されたかのような書き方となっている。
これらの引用論文から、TM-NUC報告書1により「過剰診断のエビデンス」として勧告が行われているが、福島における"過剰診断を抑制"するための診断ガイドラインがまったく考慮されておらず、それがむしろチェリーピッキング的な意図的ともいえる情報操作が行われているのではないかとの疑念が残る。
否定される福島の甲状腺検査への『TM-NUC 』報告書の適用
環境省シンポジウムの記者会見で福島の甲状腺検査について質問されたSchüz氏は、TM-NUC報告書1は福島での状況を評価するために用いられるべきではない、と繰り返し述べている。さらにSchüz氏は、「福島での経験は、提言の作成における非常に重要な要素で、それがオープンで透明性のある形で共有されたことに非常に感謝している。福島の経験なしではどのような報告書になったか、自分には分からない。集団スクリーニングは推奨しないが、参加者への教育を重視した甲状腺健康モニタリングを、将来の事故が起こる前に住民の心構えを整えておくという枠組みで勧めるということは、福島の経験なしではできなかった。福島事故のおかげで、たとえ原子力事故が起きたとしても、高線量の放射線に対して防護措置を取ることにより、住民に甚大な被ばく問題が起こるわけではないということが学べた。これは、過去に想定されていなかったことだ。よって、この報告書は、福島の状況の評価には使えない。福島の状況の評価には、福島の現状を考慮した上で、別の議論がされるべきだ。この報告書がこのように書かれたのは、将来に向けての提言を作成するにあたり、福島からの教訓をすべて使うことができたからだ。この報告書を福島の状況に適用するというのは、順番が逆だ。ガイドラインは福島の経験にもとづいて作成されており、その順番を逆にはできない。ここを区別することは非常に重要だ」(下線筆者)という内容の返答をしている。
Schüz氏は、TM-NUC報告書は福島事故の経験に立脚し、報告書の正当性を担保するためにも、福島の状況には適用できないことを強調している。
TM-NUC報告書1をめぐる議論のねじれ
TM-NUCは福島の甲状腺検査の今後を議論するものではないというのが、もともとの前提であり、Schüz氏も念を押しているにも関わらず、検討委員や評価部会員の一部には、それが理解されていないだけでなく、評価部会で現在改訂中の同意書に、TM-NUC報告書1の内容を反映させようとする動きさえある。
第33回検討委員会では、津金委員が、TM-NUC報告書1を受けて、甲状腺検査の再考を促している。その後の記者会見では、星座長が、甲状腺検査の将来のあり方についてTM-NUC提言をひとつの参考として取り扱うことは避けられないと認めながらも、TM-NUC提言を受けて甲状腺検査は必要ではなかったというような議論をすべきではないと述べている。
次に開催された第12回評価部会(2019年2月22日)では、TM-NUC報告書1を同意書に取り込むという、かなり踏み込んだ提案がされている。TM-NUC 報告書1では、集団超音波スクリーニングは過剰診断のリスクがあり、死亡率の低減に繋がらないなど、不利益が利益を上回ると述べられている。それを受け、大阪大学の祖父江友孝部会員および高野徹部会員が、甲状腺検査のお知らせ改定案の中の甲状腺超音波検査の利益・不利益についての記述に関し、「TM-NUC報告書1で不利益が利益を上回ると専門家が判断しているということは非常に重要であり、必ず伝えるべき」であると主張。特に祖父江部会員は、TM-NUC報告書1から引用すべき箇所まで挙げている。祖父江部会員の言い分は、利益・不利益については、評価部会で出された専門家の意見を列挙するだけでは混乱するため、評価部会が系統的レビューを行なって証拠にもとづいた記述をすべきであるが、そのような系統的レビューを評価部会が行なっている時間はないと思われるため、国際的な科学者が集まって行った、客観的かつエビデンスレベルが高い系統的レビューであるTM-NUC報告書1から引用すべき、というものである。
確かに鈴木部会長は、第11回評価部会(2018年10月29日)でTM-NUC報告書1を簡単に紹介した際、「この報告書は、同意書の書き換えの議論の内容とオーバーラップしているので非常に参考になるだろう」と述べてはいる。議論の参考にするというのは、もともとの「第三者機関」の目的とも言える。しかし、小児甲状腺がんのエビデンスというのは、もともと少ない。TM-NUC報告書1でも、「仮に、アグレッシブな甲状腺がんが早期診断・早期治療により侵襲性の低い治療と合併症リスクの低下に繋がるのであれば、適時な甲状腺スクリーニングは正当化されるかもしれない。しかし、小児期と思春期における甲状腺がんの早期診断の利益についてのデータは、現時点で不足している」(筆者訳)と認めている。超音波検査による不利益の最たるものが過剰診断であるが、“国際的な専門家がレビューした”と言っても、その過剰診断の小児におけるエビデンス自体が、前述のとおり、決してレベルが高いと言えるものではない。そもそも、福島で見つかっている甲状腺がんが、必ずしも過剰診断であると決定しているわけでもない。福島の甲状腺検査は、5mm以下の結節は二次検査に進まないように、過剰診断が極めて少なくなるような診断基準が用いられている。
実際のところ、本当に質が高いエビデンスは福島の甲状腺検査から出てきていると言える。現に、本誌2018年3月号では、現地視察のために来日したTM-NUCグループが2018年1月11日に行った検討委員・評価部会員との意見交換会について報告したが、その意見交換会では、TM-NUCグループが、小児での甲状腺がんについてのデータに詳しいというわけでは、まったくないことが露呈している。特に、エビデンスがほとんどない小児におけるアクティブ・サーベイランスについては、検討委員・部会員からいくつか質問が出たものの、TM-NUC側もそのようなエビデンスは持ち合わせておらず、福島で一番データが取れると思うので教えてほしい、という有様だった。
甲状腺外科医の吉田明部会員は、「もともと小児甲状腺がんのエビデンスとなるデータがほとんどないため、それを無理にまとめているTM-NUC報告書はエビデンスレベルが低い」と述べ、手術をした場合に死亡率が低いから(早期診断に)まったく意味がないという論調で書かれているTM-NUC 報告書を“金科玉条のように崇める”ことに異議を表明しているが、まさしくそのとおりである。
日本における甲状腺がんの術式は、放射性ヨウ素治療を提供できる医療施設が限定されていることに影響を受けており、できる限り全摘ではなく、片葉切除が適用されてきているため、TM-NUC報告書1でレビューされているような、国外での“全摘+放射線治療”のデータとは単純に比較できない。Cardis氏が懸念している過剰治療に至っては、福島では極力避けられていることが、これまでに公表されている125例の手術例の病理臨床的データにより示されている。甲状腺がんは手術をしないと確定診断できない。早期診断による早期治療により得られる利益については、手術時のステージ(がんの進行の程度を判定するための基準)に関するデータが参考になるが、手術症例のステージに関する報告は現時点ではされておらず、そのことも過剰診断をめぐる論争に決着がつかない理由のひとつであると言える。
1〜2巡目のベースライン化
『JAMA OHNS』に掲載された大津留論文では、1巡目と2巡目の悪性ないし悪性疑い116例と71例の発生率が比較されている。年齢分布パターンが似ており、事故後5年間での甲状腺がんの検出率が実質変わっていないことや、5歳未満の症例がないこと、被ばく線量が低いことなど、“いつもの理由”をもとに、2巡目での放射線の影響は考えにくいとされ、いつのまにか、「事故後5年間」がベースラインとされてしまっている。2巡目の71例が予想されたより多かったことについては、潜在がん保有者が多いこと、腫瘍が5〜15mmになると年齢依存的に検出されるようになること(志村氏らによる1巡目の結節とのう胞データについての論文、以下、志村論文)、腫瘍の成長がいずれは停止すること(緑川論文)の3つの理由から、2巡目では、非臨床がん・潜在がん保有者の“大きなプール”から検出される甲状腺がんが、年齢依存的に増えているためであるということになっている。この主張のエビデンスの一部(剖検、緑川論文)は、TM-NUC報告書1の「小児甲状腺がんの過剰診断」で引用されているエビデンスと重複しており、この論文の仮定そのものが疑わしいことが明らかである。さらに、2巡目の結果がまだ解析中であるというのに、早々に結論を出してしまっていることも妥当ではない。(実はその解析すら疑わしく、最新の地域差解析の非科学性については、牧野淳一郎氏が本誌4〜6月号で説明している。)
ところで、この論文には、悪性ないし悪性疑い例の腫瘍径の5mmごとの分布という、これまで公表されていない有益なデータが含まれている。1巡目の116例中、5.1〜10.0mmは55例、10.1〜15.0mmは30例、15.1〜20.0mmは14例、20.1mm以上が17例、2巡目の71例では、5.1〜10.0mmは47例、10.1〜15.0mmは15例、15.1〜20.0mmは6例、20.1mm以上が3例と、10.0mm以下の微小がんの割合が、1巡目の47.4%から2巡目の66.2%に増えている。
大津留論文では、過剰診断を減らすために、二次検査対象となる診断基準を現行の5.1mm以上から引き上げることが提案されており、甲状腺がんの検出率の低下が、診断基準を10mm超えにすれば44%、15mm超えでは13%、20mm超えだと4%見込まれると述べており、論文の最後のほうでは、希望者のみに触診を提供することを推奨しているSHAMISEN勧告に言及している。しかし、この論文では、1巡目では116例中102例、2巡目では71例中50例が手術で診断が確定したことになっており(実際には2巡目の手術例は71例中52例)、未手術例すべての腫瘍径が5.1〜10.0mmであると仮定すると、10.0mm以下の症例中、1巡目では76%、2巡目では45%に手術が実施されていることになり、もし最初から診断基準が10.0mm超えだったとしたら、これらの手術適用症例が見逃されていたことになる。論文の論調からは、仮に見逃されていたとしても、それらの症例は手術適用でない潜在がんで、すぐに見つけなくても成長が停止するということなのであろう。論文には、手術確定症例の甲状腺がんの種類と組織型以上の臨床データは含まれていないため、微小がんの多くが手術適用だったという事実が伝わらない。チェリーピッキングによる歪んだ解釈が、1〜2巡目をベースライン化しているのである。
検診 vs. 健診
評価部会では、早くから、甲状腺検査をがん検診の観点からとらえる疫学者と、放射線被ばくという背景下の早期発見・早期治療によりQOLを落とさない治療をしている臨床医の意見の相違が著しい。第2回評価部会(2014年3月2日)では、1巡目の結果が過剰診断である可能性を強く指摘する東京大学の渋谷健司部会員と、過剰診断を極力抑えるための診断基準が設けられていると説明する福島医大の甲状腺外科医、鈴木眞一氏との間で、激しい議論が繰り広げられている。渋谷部会員に「検診の目的は死亡率低下ですね?」と詰め寄られ、「福島の甲状腺検査は『検診』でなく『健診』です」と鈴木氏が答えているのだが、この「健診」という認識が共有されていないことが、今も続く意見の対立の根源とも言える。
特に第12回評価部会では、いわゆる「過剰診断組」(疫学専門家という立場からがん検診の過剰診断に懸念を示す祖父江部会員や津金委員および独自の仮説に基づいて超音波検査による過剰診断を懸念する髙野部会員・検討委員)と、「QOL重視組」(実際の医療現場で甲状腺がん患者の臨床管理に携わってきている外科医の吉田部会員、小児科医の南谷部会員。病理学医の加藤良平部会員は欠席)の間で、特にTM-NUC 提言を巡り完全に意見が対立し、議論が平行線のまま終了している。
福島の甲状腺検査は「健診」であるという認識が欠けていると、集計外データのためにもともと歪んでいる公式データの解釈がさらに歪んでしまい、発言の論理が破綻してしまう。たとえば第33回検討委員会で、津金委員が、甲状腺検査で遠隔転移(3例)が出て来ているということは、最初からスクリーニングとして機能していないと言えるので、スクリーニングの意味がないと述べている。しかし福島医大によると、甲状腺検査で診断されている甲状腺がんは、自覚症状のない人たちで見つかっており(ただ、その主張が客観的・定量的に示されたことは、これまでにない)、超音波検査が行われなかったら診断されていなかったはずだと言うことになっている。遠隔転移が見つかっているから「検診」は機能が果たされておらず意味がないというより、遠隔転移が早期診断されているからこそ、「県民の健康を見守る」という「健診」としての甲状腺検査の目的が果たされていると考える方が理にかなっている。
第10回評価部会の記者会見での、「超音波検査で反回神経や周囲組織への浸潤がみられることは超音波検査が有用ではないのか」という質問に対し、髙野部会員は、それは超音波でしか見つからないような小さな段階ですでに周囲に広がっていることを示しており、逆に超音波検査によるスクリーニングが早期診断には結びつかないということだと考えると答えている。これも、「健診」で早期診断されたことにより臨床的に対応できていると考える方が自然である。さらに髙野部会員は、第12回評価部会で、超音波検査のスクリーニングで早期に見つかっているはずなのに8割以上がすでに甲状腺外に進展しているということは、肺転移を起しているのでなければ、超音波検査をしなかったら今でも無症状でいるのではないかと推測しているという持論を展開している。厳密な意味での“甲状腺外進展”、つまり“甲状腺外浸潤”Ex1は39.2%であり、ここでは術後のリンパ節転移率が77.6 %であることを意味していると思われるが、甲状腺外浸潤については、第4回評価部会で鈴木眞一氏が、「絶対的手術適用」「甲状腺の被膜を越えているというのは、外科的には根治手術が出来なくなる可能性があるギリギリのところ」であると述べており、超音波検査をしなかった場合にEx2に進行していたかもしれない可能性を考えると、髙野部会員の発言は無責任極まりないものである。
アクティブ・サーベイランス
小児におけるアクティブ・サーベイランスにエビデンスがないことは、隈病院の甲状腺外科医でアクティブ・サーベイランスの世界的な第一人者の宮内昭氏が明言している。前述のTM-NUCと検討委員・評価部会員との意見交換会では、志村氏が福島県で実施されているアクティブ・サーベイランスについて説明してはいるが、実際の実施人数は明らかにされていない。2018年12月31日時点での悪性ないし悪性疑い例(1〜4巡目と25歳時の節目検査)は212人、うち169人で手術が実施され、良性結節1人を除く168人が甲状腺がんと確定している。残りの43人は未手術ということになっているが、福島医大附属病院以外の他施設での手術症例は把握されておらず、実際の未手術症例の数は不明である。おそらく、この未手術症例の中には、アクティブ・サーベイランス中の症例があると思われる。
さらに、甲状腺検査をきっかけとして結節性病変と診断されて保険診療を受けている人たちを対象とする甲状腺検査サポート事業において、2017年度までに支援金を交付された233人中、手術で病理診断結果が出ている82人(77人が甲状腺がん)を除いた151人の診断は未公表である。しかし、サポート事業は“結節性病変”がある人が対象で、申請できるのは“甲状腺がん(疑い)にかかる保険診療の医療費”であるため、この151人の中にも、アクティブ・サーベイランスが実施されている人たちがいるのではないかと思われる。史上初とも言える、小児期・思春期でのアクティブ・サーベイランス症例は、相当数あるのではないかと推測される。
TM-NUC報告書2
このアクティブ・サーベイランスのデータが科学的に貴重なデータであることは、TM-NUC報告書2でも触れられている。TM-NUC報告書2では、現在の科学的知見が不足している4領域(1. よりリスクが高い個人の定義および特定、2. 甲状腺検査のプロトコルおよび解釈、3. 甲状腺がんの臨床管理、4. 原子力事故による長期的な健康影響)とその研究課題がまとめられている。領域3の著者はBauer氏とDavies氏で、3A「甲状腺がんの自然史と治療のアウトカム」では、「診断された甲状腺がんのモニタリングにおけるサーベイランスの役割」と「甲状腺片葉切除による治療」で科学的知見が不足していることが挙げられている。小児期・思春期におけるアクティブ・サーベイランスおよび甲状腺片葉切除の安全性と有効性を評価するための最適な研究デザインはランダム化比較試験であるが、必要なサンプルサイズやフォローアップ期間が障害となるため、観察的コホート研究が代替案として挙げられている。
さらに、「片葉切除手術が実施された小児の長期フォローアップデータだけでも、再発や転移の臨床的な予測因子を特定することが可能になるかもしれない。福島の甲状腺検査データは、大半でリンパ節郭清が実施されているからぴったりである。福島のデータのフォローと公表の継続により、腫瘍の分子的特徴と臨床的挙動の関わりについての理解が進めば、どの患者で片葉切除とリンパ節郭清により術後寛解が達成できるか、また予防的な中央区域頸部郭清がアウトカムにどのように影響するかについて明らかになるかもしれない。また、再発に対する恐怖、不安、および学校生活と社会生活での機能などの、治療後のQOLに関する潜在的な問題の評価も有益である。福島でアクティブ・サーベイランスを選ぶ患者がいれば、この年齢グループにおけるアクティブ・サーベイランスの貴重なデータも得ることができ、小児甲状腺がんの科学の前進に多大に貢献することになる。そのような研究に参加することのリスクは、アクティブ・サーベイランスされるがんの生存率が高いのであれば、事実上、他のどの状況よりも低くなる」と具体的に説明している。
また、この領域の研究の潜在的意義として、「チェルノブイリ事故後、多くの小児が進行性甲状腺がんと診断され、広範囲の手術と放射性ヨウ素治療を受け、それに伴う副作用もみられた。原子力事故後に甲状腺がんを早期発見することは、広範囲の局所・遠隔転移が起こる前にがんを取り除くことにより、より広範囲の治療を避けることになるという利益がある。しかし、甲状腺スクリーニングあるいはモニタリングプログラムの実施により、臨床がんをより初期の転移状態で見つけることになる一方、潜在がんが見つかる可能性がある。ゆえに、侵襲性が最小で、かつ効果的である臨床管理についての知識を持つことが最も望ましい」と述べている。
ここでは、早期発見・早期治療により手術侵襲が最小限に限定されることが「利益」であると説明されている。TM-NUC 報告書1でも、「仮に、アグレッシブな甲状腺がんが早期診断・早期治療により侵襲性の低い治療と合併症リスクの低下に繋がるのであれば、適時な甲状腺スクリーニングは正当化されるかもしれない。しかし、小児期と思春期における甲状腺がんの早期診断の利益についてのデータは、現時点で不足している」と述べられており、福島のデータがその不足した知見を補うものになるという流れである。つまり、臨床医らが主張しているように、福島の早期診断・早期治療は、甲状腺検査から得られる利益であると考えることができる。
TM-NUC報告書1は将来の原子力事故に備えるもので福島での状況を評価するためのものではないが、TM-NUC報告書2ではむしろ、福島のデータは科学の前進にとって望ましいものであり、最大限活用されるべきであるという論調になっている。
TM-NUCによる福島の歪んだ知見の拡散
大津留論文に、TM-NUCメンバーでのBauer氏とDavies氏によるInvited
Commentaryが出ていることは前述したが、大津留論文の内容を文字通り受け止めてしまっている。その上、チェルノブイリでの潜伏期間は3〜5年だったが、被ばく時にヨウ素の摂取が十分である場合の潜伏期間はもう少し長くて5〜10年であるため、ヨウ素を豊富に摂取している日本人における潜伏期間は5〜10年となると述べ、福島での事故後5年間の1〜2巡目のデータがベースラインであるという大津留らの主張を裏付けてしまっている。(しかし、“被ばく時にヨウ素の摂取が十分である場合の潜伏期間が5〜10年”というのは、指定された引用文献(UNSCEAR
2006)から見つけることができなかった。著者に問い合わせたところ、原爆被爆者データだということだったが、明確な回答がもらえなかった。)
もともと歪んでいる福島のデータから、さまざまな歪んだ解析論文が出ており、それを集大成ともいえる大津留論文の歪んだ解釈により、「1〜2巡目のベースライン化」という新たな歪みが生まれ、TM-NUCメンバーの歪んだ知見による専門家としての意見により裏付けられた結果、「小児期・思春期の子どもには多くの潜在がん保有者が存在する」という”エビデンス“となり、それがBauer氏 とDavies氏により、海外の専門医に伝えられているのである。福島のデータが、海外の甲状腺専門家に解説されて医療界に伝えられるのは初めてではない。前回は、志村論文(1巡目の結節とのう胞データについての論文)69が、「小児期・思春期での甲状腺結節疾患の今後の疫学研究への有効な貢献となる」と紹介されているが、そこで取り上げられている知見も歪んでいる。今回は、TM-NUC という、IARCの”権威“のおかげで、「1〜2巡目のベースライン化」と「小児期・思春期での潜在がん保有者が多いこと」が、国際的コンセンサスとなり、いわば、”ニュー・ノーマル(新しい正常)“をもたらすことになったのだ。
TM-NUC 報告書1の公表から2ヶ月後の2018年11月29日に、Davies氏がAssociate
Editorをつとめる『JAMA OHNS』に、大津留論文がBauer 氏とDavies氏によるInvited
Commentaryと共に掲載され、TM-NUC提言が臨床ガイドライン概要として紹介された。大津留論文は、TM-NUC 報告書1が公表される2週間ほど前の2018年9月16日にアクセプトされており、TM-NUC報告書2に引用されている。偶然かもしれないが、緑川論文も『JAMA OHNS』に掲載(2017年8月19日にアクセプト、2017年11月16日にオンライン掲載)されている。日本よりもいち早く海外の医療界に周知するという迅速さには驚くばかりだが、それなりの理由があったようである。
2019年4月23日に、米国がん協会の学術誌『Cancer』に、米国で小児甲状腺がんの“真の増加”が観察されていることを報告する論文が掲載された。その論文は、約1年前の2018年5月8日にアクセプトされており、それに対してDavies氏が共著した論説が、2018年7月22日に受領、同年12月19日にアクセプトされている。TM-NUCメンバーとして得た福島の知見を取り込んだその論説内で、小児では潜在がん保有者が多く存在しないというこれまでの前提は、福島の甲状腺検査の知見から得られる “強いエビデンス”により覆されていると、緑川論文他3論文を引用して述べているのだ。TM-NUC報告書作成中から、米国での小児甲状腺がん増加が公表されることになっていたことから、TM-NUC提言と、「小児期・思春期に多くの潜在がん保有者が多い」という、大津留論文により強化された“エビデンス”を、早急に広める必要があったと思われる。
むすびに