おしどりマコ デュッセルドルフ講演「フクシマの隠された真実」動画書き起こし


2014年3月8日ドイツ・デュッセルドルフ ドイツ公益社団法人 さよなら原発デュッセルドルフ主催
おしどりマコ記念講演会「フクシマの隠された真実」動画書き起こし




司会者  皆さま、今晩は。まり子と申します。今日はおしどりマコさんの講演会に、ようこそおいでくださいました。皆さんご承知のとおり、2011年3月11日に東北大震災を日本人は経験しました。その後の大震災、そして津波、そして原発事故、私達日本人、世界の人たちがいまだ経験したことのない恐ろしい災厄となっております。そしてこの事故は、いまだに何もコントロールされていないばかりか、さらに危機的な状況が続いています。

皆さまご承知のとおり、この間行われた東京都知事選挙での色々な世論調査の関心度調査によれば、脱原発の問題は東京都民の関心事の第3番目のテーマですね。第1番目は少子化問題だとか、そういう問題で。ですから、どういうことかと言いますと、メディアが操作されているという事によって、こういう関心度が低く抑えられていることもあります。ただ、被災地の福島の声というのは、もう東京都民まで届かないという、そういう状況なわけです。

今日はしかし、おしどりマコさんの方から実際に福島で何がおきているのか、こういう事についてまず一番最初に当事者の声を伝えていただくということで、今日はお招きして、皆さんに来ていただいているわけです。これはもちろん、こういう声がまず外国に伝わっていくという事は非常に珍しいことであるので、その意味でも貴重な講演であると思います。
おしどりマコさんはフリー・プレス・コーポレーション・イン・ジャパン(日本自由放送協会)の代表? 

(マコ)理事です。

この組織はそもそも日本で大震災のあとに組織されたもので、今ちょっとお話ししましたように、メディアの操作がおこなわれている。そういうメディアの操作が起きないように、メディアの操作を受けないで正しい生の情報を伝える。そういう目的を元に結成されたジャーナリストの同盟です。 

(マコ)地震の少し前にできたんですけど。 まあ、そういう所で偶然ながら・・・ 

おしどりマコさんは福島の事故が起きてから、それまでは吉本の漫才を、おしどりマコ・ケンさんとして活躍していらしたんですが、これを機に脱原発について色々発言されるようになりました。すると、本業でもうおよびがかからなくなってしまった。その代わりに、でも、逆にジャーナリストとしての名前が知られるようになり、そしておしどりマコさんの質問があまりに鋭いので、東電の人達をたじたじとする。それで、有名になったという、そういう経歴を持っていらっしゃいます。マコさんはもちろんジャーナリスト。それだけではなく、あわせて福島を訪れて現地の人たちの声を伝えることもしていらっしゃいますし、それから東電に使われている人たちにインタビューもして、この人たちの色々な情報を聞き出したりもしています。では、これから、おしどりマコさんのお話をきいていただきますが、このひととき、皆さんと一緒に色々なことを考えてみたいと思います。

”My name is Mako Oshidori.  I am sorry I speak in Japanese.”(私の名前はおしどりマコです。すみませんが、日本語でお話させていただきます。)

今日皆さんにお会いできて、こうしてお話しする機会を与えていただいて、本当に感謝しています。そして、嬉しいです。今回呼んでいただいた(キリスト)教会の方々や、IPPNWという核戦争防止医師会議の方々にとても感謝しています。先ほどご紹介していただいたんですが、少しだけ訂正させてください。私はここに呼んでいただいたんですが、実は脱原発活動をしているわけではなく、取材をしているんですね。原発事故の取材や水俣病やアスベストなど日本には色々たくさんの問題があるのですが、それらの問題を取材をしています。

しかし、昨日まであったIPPNWの会議に出席していた医者や科学者たちも言っていたんですけれども、自分は脱原発のアクティビストではないのだけれども、原子力に対して都合の悪い事実を研究して発表すると、アクティビストと、脱原発の活動家と呼ばれてしまうと話していました。原子力のロビーに都合の悪い事実を研究したり、記事を書いたりすると、かなり圧力がかかるのですが、これに対してくじけずにずっと仕事を続けると、いつのまにか脱原発の活動家として見られてしまうようです。もちろん、私は原発は地球には必要ないと思っています。 



私はヨーロッパにきて驚いたことがひとつあります。それは日本がものすごく民主主義で、自由な国だと思われているということです。実は私は東京電力の記者会見に最も回数多く通っている記者なのですが、私が色々な事実を記事に書くと都合の悪いことが多いようで、さまざまな圧力がかかります。私が書いていた雑誌におしどりの記事を1回載せる毎に、原子力推進の記事を3回載せろと、電力会社の団体から編集長に圧力がかかったことがありました。それで、私の記事はマガジンに載らなかったのですが、その他にもテレビの番組で私が東京電力の事故について話すという企画があったのですが、スポンサーから東京電力と原子力、原発という言葉を一切使うなという指示が出て、出演がなくなったこともありました。
(間  ケンさんとのやりとり)



2011年と2012年は、東京電力側の圧力だったのですが、2013年に日本の政府が原子力を再稼動して行くと決めていったときから、政府側の監視もつくようになりました。2013年、去年の7月に参議院議員選という選挙が終わり、日本の国内では2つの院とも自民党が最大の与党になったのですが、その時にこの政権が原子力関係の技術者と研究者を秘密に集めて、秘密のミーティングをしたんです。福島第一原発をどうやって廃炉に持っていくか、そのアイディアはないかと研究者を集めたのですが、一枚のリストが配られました。そのリストには色々な人間の名前が書いていて、今の日本の政権はそのリストに名前が載っている人物に近づくなと研究者たちにリストを配っています。今の政権と敵対する政党の強い力を持った人たち、前の首相など、例えば菅直人とか小沢一郎に並んで、おしどりマコと書いてあったと聞きました。近づくなと言われて配ったリストなのですが、私はそこの研究者と仲が良かったので、リストに名前が載っていたよと教えていただきました。 

それから、しばらく謎の尾行する男性が来だしたんですが、公安調査庁という内閣府の、色々な事を調査する組織の一員のようです。私は隠し撮りが趣味なので、隠し撮りに成功した一枚をお見せします。




このように、私が誰かと喋っている場合、誰とどんな会話をしているのか聞こうとする人がぴったりついていた時期がありました。私は芸人なので、喋っている人はマネージャーさんですかと聞くのですが、いや私は彼のことを全然知らないので、私の追っかけだと思っていますと言います。福島県に行って、色々なお母さんたちを取材する時があるのですが、そうすると私が取材をしていて一緒にごはんを食べたりしているお母さんたちが帰る時に、別れる時に、1人1人お母さんたちの写真を撮って、そして車のナンバーを撮って帰って行った公安調査庁の人もいました。なので、福島県のお母さんたちは顔写真を撮られたり、車のナンバーを撮られたりすることを怖がって、もう取材を受けるのはいやがる人もいますし、記事に書くのもやめてほしいという人も出てきます。こういう公安調査庁の仕事に詳しい元公安の人に聞きますと、そういう見えるタイプの尾行は威嚇、おどしだそうで、1人いたらあと10人ぐらいいると思ったほうがいいよ言われました。まるで、ゴキブリのようだと思います。
 
このように、原発事故に関して少しシビアな取材をすると、いろいろな圧力がかかったり、取材ができにくくなったりします。でも、私のほかにもたくさん原発事故のことを取材している記者は、大手の新聞記者や大手のテレビ局にもいるのですが、なかなかその情報は外には出てきません。なぜなら出す段階で情報を発信しないようにという圧力もかかるからです。なので、皆さんにこれから話すことは、驚かれることがあるかもしれませんが、でも同じように私が日本の人たちに話すときにも、日本の人たちは驚かれます。聞いたことのない話であったり、新聞やテレビで見たことのない事実だからです。




それでは原発作業員の方についての話をしたいと思います。この方は東京電力の社員で、2012年に福島第一原発で看護士、医療室で看護士の仕事をしていた方です。2013年に東京電力を辞めた時に、彼にインタビューをしました。



原発の作業員が亡くなる時、亡くなった時、その発表は仕事中に亡くなった人だけ東京電力は発表します。例えば、週末に亡くなったり、寝ている間に亡くなったり、そして3ヶ月働いて数週間の休みの時に亡くなったりする作業員は発表はされません。一応、彼の所に東京電力の医療班の所にまで報告はあがるのですが、元々の病気だろう、持病だろうということで、片づけられてしまいます。それが被ばくによる死かどうかは、判断がつかないと言っていますが、しかし、ものすごく過酷な状況で働いていることには間違いはないと、彼は話していました。彼のインタビューを私はさまざまな、本当は雑誌の媒体でも書きたいと思ったのですが、残念ながらこれはインターネットでスポンサーのついていないネットでしか私は書いておりません。

2012年の1月に原発作業員がひとり亡くなったのですが、彼について私達が警察の事情調書を手に入れることができたので、かなり細かい取材をしました。亡くなった作業員の身元引受人の住所を手に入れることができたので、そこの住所まで訪ねて行ってみました。その住所はマンションはアパートは存在しているのですが、日本では4という数字は縁起が悪いということで、古いマンションには4がつく個室はない場合があります。身元引受人の住所は、アパートの204号室だったのですが、足を運ぶと203の次は205しか存在はしませんでした。そのアパートの隣の近所の方にも尋ねたのですが、その身元引受人の名前の方は住んではいませんでした。なので、数字の書き間違えでもないようです。地図上ではその建物が存在するので、実際に行かないとその個室がないということもわかりません。これは架空の住所の身元引受人だったのかもしれません。原発事故の後に限らず、建築業界や原発業界の闇の部分ですが、身寄りのない方や身寄りのない高齢の方が、このような過酷な作業にあてられるれることが多いようです。

2011年に100 mSv浴びた作業員は、毎年のがん検診や手厚い健康のケアがあります。しかし、ほとんどの原発作業員は90 mSvや95 mSvや83 mSvや、100 mSvを超えないように作業をさせられています。なので、手厚いケアはありません。以前から事故の前から原発でずうっと働いていた作業員の人たちは、1年にどれぐらいの量を浴びるとどうなるのか、2時間で35ミリ浴びるという作業はどういう意味なのかよくわかって、もう自分は長生きをしないだろうと、そして子どもも絶対作らないし、5年後の命もどうなっているかわからないとよく話しています。 

今日本では、子ども達ですら守られていない状況ですが、でもそれでも子どもたちの健康を守らなくてはという人たちもいます。しかし、原発の今一番シビアな環境で作業をしている人たちを守ろうという団体や声はほとんどありません。それは私たちの本当に責任でもあると思います。私が2012年の1月に取材をした亡くなった作業員の記事ですが、週刊文春に載ったんですが、ちょうどその時に歌手の浜崎あゆみさんが電撃で離婚したので、申し訳ないが記事を4分の1にしてくれ、かなり削ってくれ言われてしまいました。なので、このような情報が出て来ないというのは、このような情報を知りたいと読者が思わない、私達の責任もかなり大きいと思います。




次に福島の母親たちの話をしたいと思います。彼女たちは福島県のいわき市という所に住んでいるお父さんやお母さんたちです。彼女たちは学校給食についての運動をしています。今、福島県では福島県の生産物が汚染されているんじゃないかということで、売れないのでそれを売るために学校給食で子ども達に食べさせて、安全性をアピールして福島県のものを売っていこうという政策がとられています。いわき市では元々大きい自治体なので、福島県のものではなく遠くから生産物を買っていたのですが、事故の後、子ども達に安全性をアピールさせるために、福島県の物を食べさせようという、学校給食で食べさせようということになってしまいました。彼女たちはそれに反対して署名運動をしています。検査を厳しくしたらいいのではないかという声もあるのですが、彼女達は現在の日本ではセシウムしか測っていないんですよね、なのでストロンチウムが入っていたらどうするのか、10数年後に実はプルトニウムが入っていましたと言われたらどうしようかと反対をしています。彼女たちの主張は安全かどうかではなく、子ども達に安全性のアピールをさせるというのは科学的な問題ではなく、倫理的な問題ではないかと怒っています。しかし、現在福島県の7割あまりの自治体では学校給食で福島県の物を安全性アピールのために子ども達が食べています。彼女達はとてもマイノリティーです。なので、とても圧力がかけられ、嫌がらせがあります。汚染を気にするなら福島から出て行け、そして色々な具体的な嫌がらせを私は取材して聞いているのですが、それを書いたり発信しないでほしいと言われます。なぜなら、どんないやがらせに自分達が参っているかということが知れると、余計それがひどくなるのではないかと恐れているのです。



これはベラルーシのベルラド研究所という所のネステレンコ所長と2012年の10月に福島県を一緒に取材した時の写真です。彼が一番驚いていたことは、これは伊達市の小国小学校という所ですが、校舎があってプールがあって、ここのあたりを測定した時のことです。





27.6 μSv/hrという数値が出ています。彼はこの時私にこの小学校の生徒はみんな避難しているのかと聞きました。私は授業を受けていますと答えました。これはベラルーシでは本当はすぐに強制避難する数値だと、日本は豊かな国だと思っていたけれど、そうではないのかと言われてしまいました。たまたまこの時にこの伊達市の市役所の職員達が来ましたので、ここにとても高いポイントがありますよと言いますと、知っていますと答えられました。これは本当に高いポイントなのですが、小学校の中はきれいに掃除をしていて低いから大丈夫だということになっていますが、しかし、所長は、ネステレンコさんは言うのですが、掃除はしているといってもフィルターになっているわけではないし、同じ空気だし、風は吹いているのにそれはどういう意味だと何度も聞いています。ここの小学校のお母さんに後ほど見せてもらったのですが、この2012年の9月、ネステレンコさんと一緒に見にいった1ヶ月前179 μSv/hrだったそうです。それを掃除をして、3.9に下がったから大丈夫ですよと、この学校の校長が保護者に配ったということです。



このプリントを見せてくれた彼女は179 μSv/hrという数値ならすぐに子ども達を避難させてほしいと言っていました。しかし、もう今はこの小学校は通常の状態になっているため、彼女はもう自分でお金を出して、引越しをしました。 私が取材をした2012年当時はこの小学校に200ファミリーがあったのですが、そのうち被ばくを気にしているファミリーはたった2つでした。今はもうそのファミリー2つとも引越しをして、避難しているんですが、いつも自分達が頭がおかしいのか、本当は安全なのに自分達が怖がりすぎているのか、どう考えていいかわからないと話しています。

ちなみに、このように高く放射性物質で汚染されている所は、今、土を剥ぎとって、ごみ袋に詰めてどこか近くの空き地に積んでおくという措置が取られています。そして、福島県に限らず近隣の東日本の茨城県や群馬県や宮城県や岩手県も汚染されている地域はたくさんあって、そこも同じように人々が住んでいるので、掃除をして放射性廃棄物を近所に積んであります。



ちなみに、この土が入った袋は小さく見えますがひとつ1トンです。かなり大きいです。これは茨城県の写真なのですが、おもしろいことに、端っこにゴミは持ち帰ろうと書いてあります。現在これはどのように処分していくかということは決まっておりません。



福島の事故とチェルノブイリの事故で私がかなり違うなと思うことは、インターネットがとても発達していることです。これは松本子ども留学というプロジェクトの見学会なのですが、長野県の松本市という所で、市長が福島県の子どもを10人、第一回目は10人預かって、学校を卒業するまでずっと松本市で寮を作って、そこで学校に通わせるというプロジェクトを始めました。



松本市の菅谷昭市長はお医者さまで、チェルノブイリの事故のあとベラルーシやロシアに通って、子どもたちの甲状腺の手術を何年もされた方です。なので、福島で原発事故がおこり、すぐに子ども達を避難させないといけないと主張しました。しかし、それは通らなかったので、松本に避難をしてきた市民たちと一緒にこのプロジェクトを立ち上げました。

福島では原発事故の汚染を怖がったり、被ばくを気にしたりすることはタブーとされていて、国が大丈夫、政治が大丈夫、研究者が大丈夫と言っているのに、何を怖がっているんだということになります。なので、このプロジェクトは避難や疎開という言葉は使わずに、留学という言葉を使っています。その方が福島の中で宣伝をしやすいし、参加しやすいからです。日本では4月から新しい年度に替わるので、今年の4月から福島の子どもたちが長野に来て生活を始めるのですが、これは去年の12月にこのプロジェクトに参加をしたいと思う子どもたちや家族が見学にくるという、テストのケースでした。このプロジェクトに参加を希望している子ども達に、お父さんやお母さんがいないところでこっそり話を聞きました。とてもショックでした。このプロジェクトに参加する子ども達の多くは、中学生の女の子です。 中学生になると自分でもうインターネットをさわって、情報を集めることができます。学校の先生やお父さんは原発事故は大丈夫というけれども、自分でインターネットで調べるととてもそうは思えない。原発事故の後、どうも自分は体調がおかしくなっている。しかし、汚染されていない地域に遊びにいくと、元気になるような気がする。なので、自分は親は反対しているけれども、汚染されていないところで勉強したいんだと話す子どももいました。自分は大きくなって子どもを産みたいので、できるだけ早く福島から出たほうがいいのでは、と話す中学生の女の子もいました。大学や高校で福島から出ようと思っていたけれども、中学のうちに出られるのならこのプロジェクトに参加したいと話す女の子もいます。汚染に対してはいろいろな考え方がありますが、こうして子ども達が自分でインターネットで情報をとって、それで考えようとして、子ども達が怖がっている。親には言えずに、学校の先生には相談できずに怖がっているという現実があることを知って驚きます。ある小学校では、PTAの集まりの中でインターネットを見て怖がる人がいるので、学校の情報だけに一本化しましょうという話し合いが行われ、それが恐ろしくて引越しを決めたファミリーもありました。 

(今、彼に時間の配分を聞いたので、次に福島第一原発の現状をお話ししたいと思います。)

これは1号機と2号機の後ろにあるスタックと呼ばれる煙突です。福島第一原発には今さまざまな問題があちこちにありますが、これは私が最も危険だと思っている場所のひとつです。これは120メートルあるのですが、2013年の12月にこの根元の部分に最も高い数字毎時25 Svの地点があることがわかりました。マイクロもミリも使わない25 シーベルトということは、人間が近づける場所ではありません。問題はここからです。この煙突の東西南北の4方向、120メートルの60メートルの地点に変形があることがわかりました。この写真の部分です。



完全に切れている部分もあります。




本来すぐに修理をしないといけないものなのですが、根元が毎時25 Sv、あともう1つ、毎時15 Svの地点もあります。そのため、何も手がつけられない。なので、現在、東京電力がこれに対してとっている対策といえば、監視員を置いて常に見ています。これは1号機と2号機に非常に近いため、今も福島では、そして東日本では地震が時々あるんですが、これが建屋に倒れてこないか、現場の作業員はとても心配をしています。これが1号機もしくは2号機に倒れてきた場合は、作業員は逃げるしかないでしょうし、逃げるのが間に合うかどうかはわかりませんし、そしてもう一度近くの住民が避難をしないといけないようなシビアなアクシデントに繋がるかもしれません。

あともう1つあまり知られていないことの1つに、今福島第一原発の原子炉から大気中や、そして地下水に放射性物質が出続けているという現実があります。これはちょっと私が急いで書いた絵なのですが、原子炉の圧力容器と格納容器です。

現在、圧力容器からおそらく燃料棒が溶け落ちて、底にたまっているものと考えられています。



なので、水で冷やしているのですが、そうすると水と放射性物質が反応して水素が大量に発生しています。



そうすると、また水素爆発をおこす危険性があるので、窒素を入れてフィルターを通して放射性物質をできるだけ取って、そして中の気体を外に出しています。



問題はここからです。これは1号機の場合ですが、1時間に35リューベ( 立法メートル)窒素を入れて、10 トン入れて、1時間に21リューベ、フィルターでキャッチして、外に出しています。



つまり、1時間に14リューベ、どこかわからないところから漏れ続けています。




これは1号機も2号機も3号機も同じ状態で、今も放射性物質が大気に漏れ続けています。それはトータルで1時間に1000万ベクレルといわれています。

地下水ももちろん汚染されています。これは安部総理がオリンピックを東京に呼びたい時に言った、汚染水は完全にブロックされていますと言ったエリアです。

この赤いあたりに非常に高い地下水の汚染水がみつかって、そしてこの部分は汚染水が大量に漏れているということは、もう東京電力も認めています。安部総理はこの港湾とよばれる所で完全にブロックされているといったのですが、記者会見に通っている記者達は何もブロックはされていないことはもちろん知っています。


なので、安部さんの発言のあと記者会見で、記者達が何人も、本当に汚染水は港湾でブロックされているのですかと質問があいつぎました。それと、東京電力は安部さんのご発言を聞いて、東京電力としても国に主旨を確認しましたといいました。つまり、東京電力もかなり驚いたようです。東京電力はブロックはしてないとはとても言いませんでしたが、影響は少ないとは考えるという答え方を終始しています。 

先ほど説明した、ここのとても高い地下水の汚染がある所ですが、実は今年の2月6日にここの地下水の1つの井戸から、ストロンチウム90が1リットルに500万ベクレルあるということが発表されました。しかし、その地下水を、穴を掘って、そして水を採って測定したのは去年の7月です。なぜ、その数字が出て来なかったのか、セシウムや他の放射性物質の数字は出ていましたが、ストロンチウム90の値だけ出てきませんでした。なぜ、高い数字を発表しなかったのか。東京電力の説明ではあまりにも高すぎる数字のため、何か測定に間違いがあったのではないかと調べていたという回答でした。この地下水の観測孔は、掘って初めて、第1回の測定だったため、その地下水がいつからどれくらい汚染されていたのかということは、現在まったくわかりません。現在汚染を調べるために、たくさん地下水を調べるための井戸を掘って測定をしているのですが、今わかっていることは、どこから何が漏れているのか、おそらく1箇所だけではなくたくさんの場所から、色んなものが漏れているということだけがわかっています。地下水がいつから、何がどれだけ漏れていたのかということはわかっていません。そして、今まで測定していた数字を小さく見積もっていたという発表が、今年の2月にありました。

このように、空気にも水にも、現在も放射性物質は漏れ続けている上、人間が近づけないけれども、すぐに対処をしなくてはいけない壊れそうな場所も何箇所かあります。しかし、このような情報を知っている日本の方々はとても少ないと思います。みんなが見るようなテレビや新聞では、こういう記事は載らないからです。そして、国や研究者が言うから大丈夫だということで、どんどん汚染地域に避難している人たちを戻そうという計画がとられています。これが自由で民主主義のすばらしい国だと思われている、豊かな日本の現状です。でも、このような状態になっているのは、本当に私達自身の責任だと思います。どうやったら、何が変わるのかということをいつも考えています。日本では選挙の時に一票を入れるだけで政治に参加していると思う人が多いです。以前の私もそう思っていたかもしれません。しかし、私たちは何を買うか、何に時間を使うか、何に足を運ぶかに、常に一票を何かに投じているということに気づきました。ですから、こうして皆さんが皆さんの時間を使って足を運んで、ここに来てくださったことにとても私は感謝しています。なので、日本の現状はこのようですが、でも、それでも私達が知りたいと思って、メディアに変わってもらいたいと思って、政治に変わってもらいたいと思って、自分で何を買ったり、何かに時間を使ったりすることで、自分の人生を変えていくことで、すぐに変わると思います。

私は芸人の師匠、ドイツではなんと言うんでしょうね、マイスターと言うんでしょうかね、に、時々、まあ直接の師匠ではないですけど、長い物に巻かれておけと、怒られる時もあります。一方で、第二次世界大戦を経験した私の別のマイスターは、国のために喋るな、目の前のお客さんの幸せのために喋れという人もいます。別の師匠には、私一人でがんばっても、世の中が変わるには100年かかると言われました。しかし、私みたいなのが100人いたら1年で済みますね、と言いました。今日、皆さん100人以上はいらっしゃると思うので、もう1年で世の中変わると思います。原発事故だけでなく、さまざまな問題は本当に世の中にあると思うんですけれども、自分の人生や自分の生活を何に使うかということに、私は本当に色んな事を考えて、丁寧に生きて行きたいと思います。今日は本当にありがとうございました。

Transcription by Takashi Mizuno

220人の手術症例とこれまで報告されてきた臨床データについて

   2024年11月12日に開催された 第53回「県民健康調査」検討委員会 (以下、検討委員会)および3日後に開催された 第23回「県民健康調査」検討委員会「甲状腺検査評価部会」 (以下、評価部会)で、 220例の手術症例 について報告された。これは、同情報が 論文 として20...